木村 菜美子
「今年頑張って学位論文仕上げたら、ご褒美にインドネシアに連れて行ってあげるよ!」中村教授からそんな声をかけていただいて大学院4年目は始まったように思う。
中村教授がインドネシア、ジャカルタのハラパンキタ小児産科病院で働いていた縁もあり、過去に医局の先輩先生方が海外医療援助や学会に参加する目的でインドネシアを訪問されていた。今回の訪問は、教授にインドネシア口腔外科学会での講演依頼があり、ついでに誰か発表しないかと声をかけられたものであった。そこで、インドネシアからの大学院生であるスバン先生と共に、私にも有り難く声をかけて頂いた。とは言っても、声をかけてもらった時も半信半疑、というか・・・、「まだ先のことだし、どうなるか分からないなー」という軽い気持ちで「是非☆!」とか答えていたような気がする。
それから、なんだかんだ毎日を過ごすうちに、あれよ、あれよという間にインドネシア行きの話が進んで、学会参加も決まり、ポスター発表をすることになった。よくよく考えるとポスター発表とはいえ英語での発表だ。ただでさえ人前に立つことや発表することが苦手な私は、はっきり言って不安しかない日々であった。学会参加登録、飛行機のチケット購入から何から英語でやりとりをしなければならず、さらに英語でのポスター発表である。その準備も四苦八苦すすめ、スバン先生や中村教授にかなりお世話になりながら、なんとか無事出発当日を迎えることができた。
2017年11月29日、はじめてのインドネシアへ向けて出発した。インドネシア、ジャカルタまでの道のりは飛行機で約6時間。日本から向かう飛行機の中は、意外とスーツを着たビジネスマンが多く、「海外での仕事も大変だなー」と呑気に思ったことを覚えている。そうこうしているうちにジャカルタに到着、飛行機を降りるとその蒸し暑さに驚いた。そして、やはり日本では見かけないようなモニュメント的なものや植物、色づかいで、「外国来ちゃったなー」と思っていると、インドネシア大学のAdhitya先生がお迎えにきてくれていた。Adhitya先生は、以前、鹿児島大学に見学に来られたので、久しぶりの再開であった。遠い異国の地で知っている人がいるというだけで無性にホッとしたのを覚えている。そのままホテルへ送ってくださり、夜はスバン先生の奥様のご両親とお食事へ。様々な料理が並べられ、どれも美味しそうにみえた。インドネシアの料理はスパイシーなものが多く、激辛過ぎて食べたあとのことも少し心配していたが、どの料理もおいしく、楽しい食事会となった。
今回参加する学会はインドネシアのスラバヤでの開催であったが、その前に立ち寄ったジャカルタではハラパンキタ病院の訪問し、一緒に行った九州大学歯学部口腔外科の新井伸作先生らも含めて研究打ち合わせを行い、さらに、インドネシア大学歯学部の訪問を行った。 翌朝、さっそくハラパンキタ病院を訪問した。ハラパンキタ病院では、口唇口蓋裂の一貫治療を行っており、日本と同様に口腔外科医、矯正歯科医、言語聴覚士などのチーム医療を行っている。中村教授が以前勤務されていたということもあり、診療中にもかかわらず何人もの先生が中村教授に会いにきて再開を懐かしんでいた。また、中村教授が勤務されていたころに手術をした赤ちゃんが成長し、現在インドネシア大学で勉強している一連の成長過程がポスター掲示されており、教授も本当に懐かしそうに、そして嬉しそうにされていたのがとても印象に残った。
次の日は、インドネシア大学歯学部を訪問した。口腔外科のレジデントのみなさんがいる講義室へお邪魔させていただき、さらに、学部生の実習現場も見学させてもらった。実習を行っている学生のほとんどが女性であることに驚いた。鹿児島大学歯学部でも今では半分以上が女性となっているが、インドネシアでも歯科医師を目指す女性がここまで多いということは驚きであった。また、口腔外科を目指すレジデント方達の診療現場も見学させてもらったが、活気があり、中村教授に積極的に質問や抜歯手技についてディスカッションしていて意識の高さに感銘を受けた。
1時間の飛行機での移動後、スラバヤに無事到着。すると、そこでもスバン先生の出身大学であるエアランガ大学の先生方が出迎えてくれた。先生方は、今回の訪問のちょうど2ヶ月ほど前に鹿児島大学を訪問された、久しぶりの再開となった。エアランガ大学の先生達は今回参加予定の学会の準備で本当は忙しいのだろうが、我々を空港へ迎えたうえに、美味しいシーフードレストランへ連れて行ってくれた。スラバヤは海が近く、シーフードが美味しいので有名らしく、味もとても美味しかった。
スラバヤでの2日目は、スバン先生の母校であるエアランガ大学を訪問した。口腔外科のスペシャリストを目指すレジデントの診療風景を見学させていただき、歯学部学内をスバン先生に案内してもらった。実習や診療に使う歯科用タービンがあることなど、興味深いところがたくさんあった。また、学生実習に必要なバーや手袋を学生が自分で購入して使用するという日本との違いがあることや、学食(カフェテリア)に日本食風のメニューもみられた(味を確かめる暇はな
かったが怪しげな看板だった)。このエアランガ大学歯学部でも歯科医師を目ざす女性がかなり多く、スババ先生によると、学生時代、スバン先生を含めて男子学生は1桁だったというので、いかに女性が活躍しているかがうかがえた。
そうこうしているうちに、学会発表当日を迎えた。インドネシアに着いてから、お美味しいものを食べ、同じレジデントの若い先生たちと出会い、興味深いことばかりに触れ、できるだけ考えないようにしていたが、とうとうこの日がやってきた。その日は、朝から、中村教授の特別講演が行われ、笑いをとりつつも活発な質疑応答される姿を拝見した。その後も、夕方からの発表に向けて、原稿チェックをしたり掲示するポスターをチェックしたりして過ごしたが、緊張して気が気でなかった。とりあえず、学会に来た証拠を残そうと学会の旗の前で写真を撮ったり、謎の“ゆるキャラ”と写真を撮ったりとなんとか過ごし、とうとう発表の時間となった。
少々ガヤつくフロアーの一角で、電光掲示板のモニターにポスターを映し出して発表する形式であったこともあり、注目されすぎず発表を行うことができた。レジデントの方から質問をもらい、拙い英語で答えつつ、教授からの助け舟もありつつ、生まれてはじめての英語での発表はなんとか無事に終了することができた。ほっと一安心してスバン先生の発表や他の先生達の発表を聞くことができた。発表される先生は流暢な英語で発表されており、レベルの高さに驚いた。スバン先生は、口演発表で見事受賞し、皆で喜びを分かちあった。
学会も無事に終了し、日本への帰国の途についた。スラバヤでお世話になった先生やレジデントのみなさんがわざわざ空港まで見送りにきてくださって彼らの温かさを感じた。
今回のインドネシア訪問で最も印象に残ったのは、お世話を引き受けてくれたレジデントの方に、「何故あなたが選ばれて教授と一緒に来ることになったの?」と尋ねられたことだ。彼らにすると、「教授が連れてくる人=特別に選ばれた人」という感覚があるらしい。外からの見るとそんな風に捉えられるのか・・と驚いた。まともな理由が浮かばなかったので、「Just reward for my work(私の仕事へのご褒美)」と言ったが、それ以上は言葉の壁がそれを阻んだ。 いろいろとインドネシアの若い先生と話をする中で、インドネシアで同じように口腔外科を学ぶ人はとても意識が高く、自分の目標や将来について明確なビジョンを持って取り組んでいることを知ることができた。翻って自分ももっと頑張らなければと意識することができた。海外の学会で発表する機会や、このように今後の人生に刺激となるような経験をさせていただいたことに深く感謝するとともに、今後も臨床や研究に一生懸命に取り組みたいという強い動機を心に抱く貴重な経験となった。