- 第2回日米韓口腔顎顔面外科学会学術大会(96thAAOMS)に参加して -
松本 幸三
あれは確か、2014年の1月頃だっただろうか…。コーヒーカップを片手に医局でくつろいでいた私の耳元に「じゃあ、今年はハワイにでも行くか…」と教授の言葉が聞こえた。「むむむっ…。ハワイ?なぜそんなリゾート地の名前が?」一瞬、自分の耳を疑い「いきなりどうしたのですか?」と聞き返すと、すかさず教授から「前回は2007年に開催された日米韓の3カ国合同の口腔外科学会が、今年もまたホノルルであるんだよ。ハワイはいいぞ〜。」と満面の笑顔とともに再びハワイという言葉が私の脳を刺激した。(今までワイハには行ったことないな…ワイハは常夏の島で、ビキニを着た金髪の女性の多い楽園ではないか…。人生で一度は行っておきたい…)という不純な思いに駆られた私の頭の中はいつの間にかハワイの白い砂浜とエメラルドグリーンの海、そして青空の下ビキニを着た美女の姿の妄想で埋め尽くされていた。また、前回の第1回日米韓口腔顎顔面外科学会学術大会において中村教授が受賞していることを知っていた私はこの賞の2冠をまた取りたいという考えも芽生えていたのだ。「行きましょう!」と少しニヤケ顔で無意識のうちに口に出して返事をしていた私であった。
それから数か月、臨床や研究など日々の生活に追われ、いつしか季節は夏を迎えハワイの学会が間近に迫ってきた。私と助教の岐部先生は、ポスター発表のための準備に夏休み期間は連夜パソコンに向かって奮闘した。最後の最後までこれでもかとあがきながらも修正を重ね、出発前日の明け方ギリギリにようやくポスターの印刷を終えた。
慌ただしく旅行の準備をして9月8日の夜に成田国際空港をユナイテッド航空の飛行機にて出発し、約6時間半のフライトを終えて現地時間の9月8日の朝7時半にホノルル国際空港に到着した。空港の出口を出て「ようやくハワイに着いた〜」と腕を高々と挙げ背伸びをし、19時間の時差ボケのため何となくボーっとした感覚に包まれながら、キャリーバックを押してタクシー乗り場へと向かった。タクシー係に誘導され、タクシーのトランクへ荷物を積み込み車に乗り込んだ。まさかこの時は、これからのちょっとした出来事が起ころうとは私たち3人とタクシードライバーは知る由もなかった…。
「ようこそ、ハワイへ!どこから来たの?」と車に乗り込んだ次の瞬間に運転手が英語でフレンドリーに話しかけてきた。ふと目をやると車の運転席のメーターの部分に刀の鍔(つば)を貼り付けている事に気づいた私は、フジヤマ・サムライの国である日本から来たことを自慢気に告げた。運転手さんは日系人の方なのか、それからえらく親近感が湧いたようで運転しながら私たちにやたらと話しかけてきた。しばらくすると車はフリーウェイ(高速道路)に入り、そこからの景色はきれいな高い青空と共に高層ビルや家々といったハワイの街並みが広がっていた。「とうとう来ましたね〜」とはしゃぐ気持ちを抑えられず、夢中で持参したデジカメのシャッターを切っていた。その間もたまに話しかけてくる運転手さんに対し、軽く相づちをうちつつ助手席の私が前を見ていると、いきなり岐部先生の「あぶない!」という言葉が聞こえた。それと同時に私の真横に白い乗用車の先端部分が“ガンッ”という音とともにタクシーの車のボディにぶつかった。一瞬、タクシーの中の時が止まったが、すぐに事故にあったと運転手もわれわれ3人も気がついた。すかさず運転手が「あ〜、なんて日だ。最悪だ〜」と繰り返し英語で文句を言っている。私も思わず「ハワイに着いた途端に事故ですね〜。これは珍道中の旅になりますよ。」と教授と岐部先生に笑いながら話しをした。ハワイに到着してすぐにこのような珍事があったものの、タクシーは無事にわれわれの宿泊するPrince Hotel Waikikiに到着した。車を降りると2つの大きなタワーが目の前に建っていて、いかにもリゾート地のホテルというたたずまいを醸し出していた。到着してすぐに部屋へのチェックインを行ったが、時間は朝の9時であるためまだチェックインはできないとのことで、私たちは仕方なくホテルで身支度を整え、荷物を預けてホノルルの街を散策することにした。
ハワイの9月は乾季が終わる直前の季節のようで、明け方は時々雨が降っている様子だったが、朝食を摂る朝の時間帯には基本的に快晴の天気が広がり、また時折、涼しい風が吹いていて、湿気も少ないため日本の夏とは少し違いカラッとしてとても過ごしやすいベストな気候であった。眩しくて目を細めるほどの明るい太陽の日差しを浴びながら、私たちはアラモアナショッピングセンターへ向かった。あらかじめ行きの飛行機の中で美味しいハンバーガーショップがアラモアナショッピングセンター内にあるという情報を入手していた私は、ウィンドーショッピングをした後にその美味しいと言われるお店へと向かった。お店の名前は「アイランドファインバーガー」と名前からしていかにもハワイをイメージする名前であった。店内に入ると「アロハ〜」という陽気な甘い声と爽やかな笑顔とともに女性スタッフが私たちに声をかけて来た。座席へと案内されメニューを渡されて、とりあえず注文をするとようやく一息ついた。しばらくすると大きなハンバーガーが私たちの目の前に運ばれ、やはりこっちは食べ物のサイズが大きいという事を実感した。というのも、ハンバーガーにフォークとナイフが付いており、こっちのハンバーガーに直接大きな口を開けてかぶりつこうが、日本のように一口でバーガーの端から端までを口にほうばって食べることはできないレベルの大きさだ。ナイフとフォークを使い細かく切って口の中に押し込むようにいれると、パテからじわ〜っと溢れる肉汁とともにお肉の香りが口いっぱいに広がり、この感覚が言葉にならないぐらいに美味しかった。これが本場のハンバーガーなのかと感動したのを今でも鮮明に覚えている。食事が終わると地図を広げこれからの予定を話し合い、ひとまずワイキキの中心街へとバスで移動することにした。バスは1回の乗車に2.5ドルを支払い、かなり色々と遠くの場所まで行けるようだ。バスに乗るのも初めての体験で、初めは少しドキドキしたのだが意外とスムーズに乗れることがわかるととても快適であった。バスから降りると、道路にはところどころヤシの木が植えてあり、歩道にはサーフボードを持つ人や海水浴の人、また多くの人がサングラスを掛けながら周囲に建ち並ぶ高層ホテルの間の横断歩道を歩き、まさにテレビからの私のハワイのイメージにぴたっと合致していた。なぜかその光景を見るともう心が踊らずにはいられなかった。目に見える建物や、色とりどりの商品、耳から聞こえてくる言葉やにおいに至るすべてが新鮮で、それらが私の五感を刺激し余計に気分が高まった。3人でしばらく街並みを歩いていると、いつしかワイキキビーチへとたどり着いた。すると私たちの目の前に真っ青な空とエメラルドグリーンの海、白い砂浜が一面に広がっていた。恥ずかしいが、感動して思わず声を出し写真を撮影している私がいた。その後は散歩ついでに歩いてホテルまで帰り、ハワイの1日目は感動の連続でいつの間にか歩き回り、夜は疲れ果てていつしか1日が終わっていた。
次の日の朝はレストランへ向かうとビュッフェスタイルで様々な色とりどりの食物が所狭しと並んでおり、これまた朝から私の心は踊らされた。朝食を終えて、まず、学会会場にレジストレーションに受かった。学会は、アラモアナショッピングセンター横の大きなコンベンションセンターで行われることになっており、会場に入ると全面ガラス張りで、ゴージャスな作りのロビーが見えてきた。ただ、何かがおかしい....。何だろう(あれ、人がいない。学会なのに....)と思っていると、やっとスタッフとおぼしき人を見つけて尋ねると、まだ学会会場は準備中だという。「明日、来てね!」と言うことだった。そう思って回りを見るとキョロキョロと回りを見ている日本人が沢山いて、きっと他の人も同じように肩すかしをくらっているのだろうと思った。と言う訳で、時間ができたので、ダイヤモンドヘッドへ行く計画を立て、バスに乗車してダイヤモンドヘッドへと向かった。ダイヤモンドヘッドはワイキキの街から見えるためすぐ近くにあるのだろうと思っていたのだが、私の考えは甘く、意外とワイキキから少し離れた場所に位置しており、さらにバス停から登り口までも思ったより少し距離があった。途中に大きなトンネルがあり吸い込まれるようにそこを通り抜けると目の前にダイヤモンドヘッドが現れた。しばらくすると登り口があり、3人で記念撮影を行い頂上を目指して登り始めた。下山する人と、ところどころ挨拶を交わしながら登ったが、意外と登りやすい道で道幅は狭いがハイキング感覚であった。いつしか3人の中で日本語禁止のルールのもと英語でのコミュニケーションを行いながら、会話を楽しみつつ登っていると気が付くといつの間にか頂上に近づいていた。そこから少し歩くと頂上へ着き、私たちの眼下にはワイキキの街並みと、青い空ときれいな海が一面に広がっていた。私は何度も夢中でカメラのシャッターを切り、しばらく風に当たりながらワイキキの景色を脳裏に焼き付けるように眺めていた。下山は登りに比べて気持ち的にも楽で、意外にすぐ登り口へと到着した。
その日の夜は「レイジングクラブ」というロブスターなどの海鮮物を豪快に手で割って食べるレストランで食事をしたのだが、これがまた豪快な食べ方で大きなロブスターや貝類などの魚介類がガーリックやスパイスの効いた美味しい味付けに調理されてテーブルの前に置かれ、それらを手や道具で殻を割り食べるのだ。いつのしか3人とも美味しさのあまり食べることに夢中になって、顔にソースが飛び散っていることも忘れていた。その帰り道、通りを歩きふとお店の看板を見ると「KOZO SUSHI」 (こーぞーすし?)という名前が私の目に飛び込んできた。私の名前は“こうぞう”でパスポートのローマ字表記はKOZOとなっているため、どことなくハワイに自分のお寿司のお店をオープンしているような気持ちになり、思わず写真を撮影しホテルへと戻った。
次の日は朝食を済ませ、スーツに着替えて少し気合を入れて学会会場へ歩いて向かった。学会会場は学会関係者や参加者などですごく賑わっており、まずは参加受付を行った後に、ポスター発表の手続きをするため会場のホールの3階へと向かい、発表者であることを担当者に告げ、岐部先生とともに手続きを行い参加証を受け取った。すると、私の心の中で一気に国際学会での発表という緊張感の波が押し寄せて来るのを感じた。夕方にはウエルカムレセプションがHilton Villegeというヒルトンホテルの中の広い会場で開催されるため参加するため会場へと向かった。レセプション会場はものとても広く、食べ物が至るところに置かれビュッフェスタイルで好きな物を取れるようになっていた。会場の雰囲気としては、多くの海外の学会関係者で埋め尽くされており、初めは緊張感が強かったのだが、このような会場の雰囲気や感覚というのは日本では味わうことがなかなかできないためすごく刺激的であり、この日の夜はグローバルなコミュニケーションを行うためにコミュニケーションツールとして英語を勉強する必要性を私の中で強く感じた。
学会発表当日は、朝6時に起床して朝食を食べた後、足早に学会会場へと向かった。今日はポスター発表の当日であり、ポスターを決められた時間帯までに貼らなければならないこと、またポスターを評価する評価者の先生に対して英語でプレゼンテーションすることに対して、私の心は緊張感で包まれていた。教授は、ポスターのジャッジを務めることになっており、前の日から抄録をチェックし、当日もポスターを丁寧に見て回っていた。スーツの戦闘服を着た私と、“郷に入りては郷に従え”とアロハシャツに急遽着替えた岐部先生は、少し緊張した面持ちで、日本の南に位置する鹿児島の地で一生懸命心を込めて作成したポスターをポスターボードへ丁寧に貼り付けた。少し早めに会場に来たため思ったよりも人はまばらで少なかったのだが、時間が経つにつれてそれぞれのポスターを貼る発表者がポスターとともに来場し、またそれ以外の学会関係者および評価者の先生がぞくぞくと集まり始めていた。ポスターの発表は朝9時から11時までの2時間自分のポスターの横に立ち、その間に評価を行う先生へプレゼンテーションを行った後、ポスターの発表内容に対して質問を受けるというスタイルであった。私は隣にいたカリフォルニア大学の6年生のブライアンと緊張感をほぐすため、片言の英語で会話をしながらジャッジの先生が現れるのを待っていたところ、しばらくするといつの間にかジャッジの3名の先生が隣のポスターを眺めてることに気づいた。すると、韓国人のジャッジの先生と目が合い「じゃあ、プレゼンテーションを始めて」とニコッと声をかけられた。その途端に私の心の中は嵐の天候のように緊張感という大波が一気に押し寄せてきたのだが、心を落ち着かせながら身振り手振りのプレゼンテーションを行った。腹をくくったため思いのほか緊張感の波は穏やかなさざ波へと変わり、いつの間にか自然と緊張感はなくなっていた。2〜3分ほどの私の身振り手振りの情熱的な(笑)プレゼンテーションの後に評価の先生からいくつか質問を受けた。その中には少し質問の意図がわかりにくい内容もあったのだが、自分なりに一生懸命つたない英語で答えた。しかし、緊張のためか、何の質問を受けて、何と答えたのかあまり鮮明には覚えていない。最後に「ありがとう!」という評価の先生の言葉と笑顔と共に隣のブライアンの方へ移動したため、無事に終わったという思いと、先ほどまでのプレゼンテーションからの質疑応答のための胸の高まりがすぐには収まらず、手にはぐっしょりと汗が滲んでいた。そのうち気がつくといつの間にか11時になっており「終わりましたね。お疲れさまでした。」と発表準備から今日までを共に奮闘した岐部先生と握手を交わした。無意識のうちに「終わった?!」と手を上げてバンザイのポーズをとり、発表が無事に終わった事と悔いのない心境とを心から喜んだ。その後はしばらく、広い会場内の展示ブースなどを見学し会場に用意された昼食を摂って一息ついた後、教授は他に学会発表を聞かれるとのことで、私と岐部先生は教授と別れてホテルへと戻り、部屋に戻ると再び発表の緊張感から開放されたという安堵感にどっぷり浸った。
午後に入って、発表を終えたご褒美にと、我々は、念願のワイキキビーチへ行くことにした。ビーチには、色とりどりの水着を着た若者が思い思いに日光浴しており、まさに、世界の天国だと思った。自分も思わず、水着姿で海へ飛び込んだのだった。その後、ショッピングを楽しみ、また、夜もハワイの開放的な雰囲気を満喫して、緊張しながらも楽しかった5日間があっという間に終わってしまった。
なんだかんだ珍道中で始まったハワイの学会旅行も最終日を迎え、発表の翌日の朝7時半にはホノルル国際空港へ眠たい目をこすりながらタクシーに乗り込んだ。車の中ではハワイに来たのがつい昨日の事のように思われ、美しい景色と楽しい思い出が私の頭のなかを駆け巡っていた。学会発表までの準備はすべてが初めての経験の連続で、手続き一つにしても悪戦苦闘し大変だったのだが、今となってはとても良い経験をさせてもらったと感じている。この旅行でコミュニケーションとしての英語の大切さも再確認し、また必ずハワイに戻って来たいという思いを抱いて東京行きの飛行機へと乗り込んだ。
さて、このハワイ学会参加記には、嬉しい後日談が待っていた。日本に帰ってきて知ったのだが、私のポスターが約400名近いポスター発表の中の優秀発表5名選ばれるうちの1名に選ばれていてOutstanding Poster Presentation Awardを受賞していた事を知った。我々は仕事の都合で、受賞が発表されるより前にすでに帰国していたのだった。医局としては、2007年の米日韓三国共同開催口腔顎顔面外科学会と今回続けての Award の受賞となり、皆が喜んでくれて本当に嬉しかった。
ポスター作成にご指導・アドバイスをいただいた医局の多くの先生方に感謝するとともに、この経験と自信を活かして、益々研究や臨床に精進していきたいと思う。