- インドネシアの歴史と人に触れて - 手塚 征宏
2015年5月、大学に戻ってきたばかりの私は、中村教授に来年インドネシアで開催される歯科学会に発表したらどうかという話を頂いた。声を掛けられた時は、「発表は来年だしな、どうにかなるだろう」といった軽い気持ちで、参加することを決めた。中村教授が2年間インドネシアのハラパンキタ病院で働いていたこともあり、インドネシアには毎年我々の医局から訪問している。いよいよ私にも順番が回ってきたと思っているうちに、時は流れて、様々な締切が目前に迫り、バンバン英語でメールがやってきた。「あたりまえだけど、全部英語だな、発表も英語だし心配だな」と少し後悔の気持ちもあったが、やるしかないと腹をくくり、準備を進めた。今回参加したKPPIKG 2016というインドネシアの歯科学会はインドネシアの歯科医師の生涯研修の意味合いを持っており、インドネシア中の歯科医師が参加する大きな学会である。中村教授は学会から招待され、セミナーを担当された。同じく矯正歯科の植田先生も学会から招待という形でセミナーを担当された。同じ医局の松本先生と私はポスターでの一般発表という事で学会に参加した。という事で、中村教授とその夫人、植田先生、松本先生、私の5名で2016年2月20日、インドネシアへ向かった。
インドネシアまでは羽田からジャカルタまでの直通便が飛んでいる。機内食を食べながら6時間、そう遠くはない。時差も2時間である。ジャカルタへ到着し、まずその蒸し暑さに驚いた。赤道直下なので当たり前だが、暑かった。日本の冬仕様の服を着替えて到着ゲートへ進むと、インドネシア大学歯学部のMitha先生、Dwi先生が出迎えてくれた。お二人は当科に短期留学されており、我々と久しぶりの再会となった。またインドネシア大学歯学部の学生(Amira)と口腔外科のレジデントの先生(Astri)の2人がリアゾンオフィサー(いわゆる担当秘書のようなもの)として、招待者である中村教授と植田先生の二人にそれぞれ一人ずつついてくれ、インドネシア滞在中のお世話を一挙に引き受けてくれた
出出発前に松本先生と 空港にてお出迎え
到着した足で、ホテルに向かい荷物を下ろして、早速インドネシア料理の夕食へ。私はメニューを見ても、よく分からなかったので、おすすめされた料理(おそらくアヒルのまる揚げ)を頼んで、楽しみに料理を待った。出てきた料理は美味しそう!!スパイシー過ぎて食べられないのではと心配していたが、余裕ではないかと早速メインの肉を一口。美味しい!!付け合せもいただこうと一口食べた瞬間、辛い!!辛すぎる!!汗が止まらない。どうやら唐辛子を食べていたらしく、口は痛いし、汗は止まらないし、水を飲んで何とかおさまった。スパイシー過ぎるインドネシアの洗礼に、果たして1週間無事に過ごせるかと不安になった。
翌日の21日は日曜日。インドネシア大学歯学部の口腔外科のレジデントの若い先生方と一緒に、ラグナン動物園へ行った。日本の動物園より広く、動物の種類も多かった。テレビでしか見たことのないコモドドラゴンを見て、一同興奮。インドネシアの若い先生方といろいろな話をするのも非常にいい経験になった。インドネシアの先生方は英語が非常にお上手で、ペラペラお話しされる。自分はというと、言いたいことが翻訳できずに伝わらなかったりして、改めて自分の英語力のなさを痛感させられた。しかし、インドネシアの歯科医療の実際やインドネシアでの暮らしについて聞くことができ、非常に面白かった。
スパイシーな夕食 ラグナン動物園にて
22日は、以前中村教授が勤務されていたハラパンキタ病院へDwi先生の研究の打ち合わせもかねて、訪問させていただいた。中村教授が以前勤務されていたという事もあり、教授が尋ねると、働いている先生方が「Hi, Nakamura」と笑顔で寄ってくる。教授も懐かしそうに笑顔で応じていた。ハラパンキタ病院では、口唇口蓋裂の一貫治療を行っており、口腔外科医、矯正歯科医、言語聴覚士などの日本と同様にチーム医療を行っている。普段、大学では言語治療を専門にしているので、言語聴覚士のLita先生を紹介してもらい、訓練場面を見学させていただいた。言葉は違えど、訓練場面は日本と変わらなかった。子どものやる気を上手に引き出して、子どもが飽きないようにハイテンションで臨床を行うLita先生が印象的であった。このLita先生との出会いが、インドネシアで貴重な経験させていただけることになるとは、この時の私は知らなかった。その日の夜は、リアゾンオフィサーのAmiraとAstriがインドネシアの伝統的な料理が頂けるレストランを予約してくれた。この頃から、二人の仕事の出来っぷりをみて、もしかしたら二人は秘書検定8段くらい持っているのではないかと思っていた。それくらい、気が利くし、仕事が早かったのだ。そのレストランでは、インドネシアでは有名なドリアンを頂いた。ドリアンジュースだったのだが、匂いがきつい。味は甘いのだが、何しろ味の前に嗅覚が反応してしまい、好きにはなれなかった。
23日は、教授は学会の仕事があり、インドネシア大学に行かなければならないとのことで、残った3人は、インドネシアの暮らしや歴史も分かるテーマパーク、タマン・ミニに向かった。博物館や植物園、動物園などいくつものブースがあり、回ることが出来る。一番印象に残ったのは、インドネシアの歴史や伝統衣装が見ることのできるインドネシア館である。インドネシアは日本と同じ島国で、島によって文化や服装なども異なり、歴史も異なる。写真やレプリカなどたくさんの展示物があり、歴史がよく分かり非常に勉強になった。その日の夜は、なんと丸亀うどんに行った。あの日本でおなじみの丸亀うどんである。インドネシアは、今日本食がブームな様で、丸亀うどんのほかに吉野家や回転すしなど日本のチェーン店を見る機会がとても多かった。味も日本と同じで、久しぶりの日本食でホッとした。その夜、ホテルまでの帰り道AstriがLita先生から連絡が来たと言ってきた。インドネシアの言語聴覚士の養成校で講義をしてくれないかという事であった。出発前に教授から、もしかしたら講義を頼まれるかもと聞いてはいたが、まさか現実になるなんて思ってもいなかった。しかし、「なんて貴重な経験、こんな経験は二度とないかもしれないし、頼まれたからにはやるしかない」と、講義用のスライドの準備を行った。
タタマン・ミニにて 丸亀うどんにて
24日、いよいよKPPIKGの開幕である。広いホールに、インドネシアの伝統的な音楽が生演奏で流れており、まるでアカデミー賞のような雰囲気である。司会者の二人が出てきて、進行するのだが、もうもはやアカデミー賞にしか見えない!!日本の学会とはスケールが違う気がした。次にインドネシアの伝統的な踊りを様々なダンサーが次から次へと代わる代わる出てきて、披露するのだが、非常にきれいで、荘厳で思わずこちらもノリノリになってしまい、一気に引き込まれた。開会式が終了し、午後1番のセッションで中村教授のセミナーがあった。我々も応援部隊で会場へ。英語で無事に発表を終えられ、教授も肩の荷が下りたように、ホッとされていた。その夜は、招待者である中村教授と植田先生は会長招宴だったので、松本先生と私はAmiraとAstri、インドネシア大学口腔外科のレジデントの先生で夕食を食べに出かけた。サテと呼ばれる、羊肉を使った焼き鳥のようなものを頂いた。現地のレストランのようなところで、年が近い者同士で、話も弾んで非常に楽しかった。この頃には、英語にも慣れ、片言ながらにもみんなで会話を楽しむことはできた。仕事の事や、プライベートのことなど、国は違っても考えることはみんな同じなんだなと改めて実感した。
まるでアカデミー賞 サテをみんなで
25日、いよいよ言語聴覚士の養成校での講義がやってきた。朝はホテルまでLita先生が車で迎えに来てくれて、養成校まで連れて行ってくれた。インドネシアには3つしか、言語聴覚士の養成校はないようで、言語聴覚士の数もまだまだ少ないと言っていた。養成校につくと、なんと教室の前には大きな横断幕が貼ってあった。よく見ると、私の名前が書いてある。「おいおい、こんな大事になっているなんて・・・」非常に緊張し、みんなの前に立つと、その真剣なまなざしにさらに緊張が増してしまう。つたない英語で一生懸命話した。あっという間の1時間であった。講義中、居眠りをする学生は一人もおらず、みんな真剣に話を聞いてくれた。最後の質問タイムでも、たくさんの生徒が流暢な英語で(!!!)質問してくれて、熱心さを感じた。この講義は、非常に貴重な経験になった。違う国の言語聴覚士の養成校で講義をするなんて、夢にも思わなかったが、この知識の共有がこれからの口蓋裂言語の国際的な発展につながるのだという事を、身を持って経験できたことは非常に貴重で、感謝しなければならないと思っている。講義の後、Lita先生が独立記念塔のMONASに連れて行ってくれた。ジャカルタの街を一望でき、非常に眺めが良かった。無事に講義が終わって、すがすがしい気持ちでジャカルタの街を見ることが出来た。
立派な横断幕の前で講義 言語聴覚士の養成校の生徒達と
26日、いよいよ松本先生と私のポスター発表である。E-posterで電光掲示板に自分のポスターを表示し、その前で発表を行った。養成校での講義を終えていたこともあり、緊張はしたものの、落ち着いて発表を終えることが出来た。聴衆も集まっていただき、頷きながら真剣に聞いてくれる方もおり、有意義な発表であった。その後、松本先生も発表を終え、開放感を味わいながら夕食を食べることが出来た。
いよいよ、最終日。あっという間の1週間だった気がする。ホテルをチェックアウトし、中村教授がインドネシア時代にお世話になったというリン先生という開業医のクリニックを尋ねた。矯正治療を行っている歯科医院で、先生が九大出身ということもあり日本語が話せるので日本人の患者さんも多いとのことであった。そこでは、昨年、鹿児島大学で手術を行った、インドネシア人の患者さんの診察を行いクリニックを後にした。その後、ファタヒラ博物館とカフェ・バタヴィアへ向かった。ここは、インドネシアがオランダに統治されていた時代の歴史を感じられる街で、その時代の建造物等がそのまま残っている。バタヴィアとはジャカルタのオランダ植民地時代の名称であるそうだ。非常に雰囲気のあるカフェで、インドネシア最後の時間をゆっくり過ごすことが出来た。空港ではMitha先生、Dwi先生、Amira、Astriなど見送りに来てくれて、帰りたくなくなるほど、寂しい気持ちになった。
発表を終えて カフェ・バタヴィアにて
今回の旅で、一番実感したのは医療の目指す方向はみんな同じだという事である。違う国の医療者と話すことで、目指すものは患者の健康と幸福であり、それは国が変わっても変わらない確固たるものなのだという事を強く実感した。インドネシアの貴重な経験を胸に刻み、今後の大学での臨床、研究、教育に情熱を注いでいけたらと思っている。