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 嘗めたらいかん、インドネシア

 - アジノモトー,Change your mind! -  松本 幸三


いざインドネシアへ出発!

 ピピッ ピピッ ピピッ …携帯電話のアラームでパッと目が覚めた。時刻を見ると2月23日(土)の早朝4:30。夜が明ける前で外はまだ暗い。
 布団から出ると遅刻ができない緊張感からかいつもより行動は流れるように機敏だった。顔を洗い、そそくさと身支度を済ませた後、最終チェックを行う。「パスポート、航空チケット、財布っと、まずはこれさえ持っていれば大丈夫。それにスーツとキャリーバック内の荷物はえーっと…」心は少し慌てながら自分自身に忘れ物がないかどうか問いかけた。チェックを終えて部屋を出ると、気温は2-3℃だろうかまだ2月末の外気は冷たかった。自分の白い吐息をみながら「今日の夜には赤道直下のインドネシア、ジャカルタかぁ…、どんな所だろう...」とまだ見ぬ熱帯の国への大きな期待感と不安感で私の胸は高まっていた。
 待ち合わせ時間の20分程前に鹿児島中央駅の新幹線乗り場の待合室に到着して暫くすると、中村教授がいつもの様子の笑顔で現れた。そして新幹線のホームで、始発の新幹線に乗り込もうとしたその時、教授から「よし、じゃあまず恒例の写真を撮ろう。」と言われ、今回の旅の記念すべき最初の1枚として新幹線に乗り込む姿を撮影した。以前、海外に出かけた先輩の岐部先生、下松先生のHP記事と全く同じフォームで新幹線に乗りこむ姿を写すのが医局の習わしとなっているのだ。

 


 博多駅から福岡国際空港へ向かい大韓航空ソウル行きの搭乗手続きを済ませた後、無事に出国審査のゲートをぬけると目の前に免税店が並んでいた。「一応ここから国外になるのか」と少し胸踊らせながら店の中の品物を見て回った。約1時間半のフライトで韓国のインチョン国際空港へ到着した。トランジットのために厳重なセキュリティーチェックを通過してエスカレーターを登ると、そこにはとても明るくてデパートのような開放的な空間が広がり、免税店やブランドショップ、飲食店などが並んでいた。インチョン国際空港に来たら必ず立ち寄るという韓国料理店へと向った。そこでは、滋養効果のあるサムゲタンを食べて、これからの長旅への栄養付けとした。15:30頃にジャカルタ行きの搭乗案内が開始し、本日2度目のフライトへ乗り込んだ。韓国からジャカルタへの機内は意外にも韓国人ビジネスマンが多く、私には意外だったが、それだけ韓国とインドネシアは距離が近い感覚なのかとグローバル化を感じた気持ちであった。 

 
 


ジャカルタへ到着、ハラパンキタ病院を訪問

 ソウルから約5時間のフライトを終え、ジャカルタのスカルノハッタ国際空港へ到着したのは20:50頃だった。飛行機から降りると、すぐに私の体に熱帯性気候のジメっとした暑さが体中にまとわりつく感覚を感じた。入国審査前に約4000円程のビザの購入が必要であることの説明を受け、入国審査で色々聞かれたらどうしようとドキドキしていると、教授から、「何か聞かれたら『齊藤寝具店でーす』と云えば良いんだよ」と教えられた。「齊藤寝具店??、何で?」と思っていると、それはSight seeing ten days: サイト シーング テン デイズ(10日間の観光です)と云う意味で、「これさえ知っておけばイミグレーションはバッチリさ」と云われた。「本当かなぁ」と半信半疑だったが、いざ、イミグレーションでは入国カードには7日間と書いていることに気づき、「友人へ会いに行く」という事を伝えて無事に通過した。今回はこの言葉を使用する事は無かったが、次回は試してみたいと思った。
 荷物を受け取るゲートはたくさんの人で埋め尽くされており、出口の途中で日本円をインドネシアの紙幣であるルピアへ両替したが、日本の1円が約102ルピアぐらいなので大量に紙幣を渡され、財布が閉じれない状態になった。なんだかとてもお金持ちになったのではないかという錯覚に一瞬陥りそうになったが、冷静に考えるとそんなことはあるはずもなかった。
 カートを押しながら空港の出口へ向かっていると「Professor Nakamu-ra?」と男女2人の若者が教授に声をかけてきた。インドネシア大学口腔外科のレジデントの若い先生が迎えに来てくれていたようだ。教授は笑顔で2人と握手を交わし、その次にはインドネシア語での会話が始まっていた。私には正確に内容はわからなかったが、その場の雰囲気を感じて私も笑顔で挨拶を交わした。しばらくすると、以前医局に短期留学していたドゥイさんとハラパンキタ病院の口唇口蓋裂センター長のシャフルディン先生が登場し、シャフルディン先生の車で宿泊予定場所であるハラパンキタ病院内のホテルへ向かうことになった。空港は22:00頃というのに人・人・人、道路には車・車・車であふれていた。「なっ、なんなんだぁ、この人の数といい、車の多さは…。」なにか押し寄せるようなエネルギーとパワーに圧倒されながら、やっとシャフルディン先生の車を見つけて乗り込んだ。ハイウェイを走り出すと、先程まで感じていた旅の疲労感はいつの間にかどこかえ消え、ジャカルタの街のライトアップされた美しい高層ビルやイルミネーション、またうっすらと見えるたくさんの家々の明かりなどが見え、車外の景色に釘付けになっていた。

 23:00前後、夜遅くやっとホテルへ到着した。ホテルのロビーでチェックインを行っていると、フロントマンとシャッフルディン先生が話しながら少し微妙な雰囲気となった。「どうしたんですか?」と訪ねると、「明日からの部屋がツインじゃなくてダブルの部屋しかないらしい。」と云う。「ダブルというと、一つのベッドで教授と二人で寝るの??。。。。」。「それは困る!」と二人で同時に答えていた。しばらく様子を伺っていると、部屋を何とか都合してくれるという事だった。6階の部屋は思いのほか清潔で、明日のスケジュール等を確認しながらベットに横になると、長旅の疲労と緊張からの開放感からかいつの間にか眠気に襲われた。。
 次の日は朝7:30に起床し、食堂で朝食をとった。朝食はビュッフェスタイルで、パンやお粥、スープ、その場で卵焼きやスクランブルエッグを調理してもらえる日本と全く変わらない感じであった。目覚めにジャカルタのコーヒーを口にしながら、教授から料理の説明をしてもらいながら美味しく食べた。その中でとても美味しかったのはスパイスの効いたあっさりとしたソトアヤムという鶏肉スープで、ドロっとしたお粥にかけると、日本でいう「おじや」のようになった。これがとても気に入り、滞在中は何度もおかわりをした。朝食を済ませてロビーから病院の横の通りへ歩いて出てみると、通りにはたくさんの小さな屋台があり、人々が座って朝食を食べたりにぎやかな雰囲気であった。昨夜は夜遅くに到着したため周囲の様子が暗くて良く分からなかったが、朝になると太陽の光が降りそそいで明るく通りを照らし、建物や人が密集している中に猫などの動物が佇み、インドネシアのジャカルタにいる事を実感した。通りを歩きながら写真を撮影していると、親しそうにお店の人が声をかけてくる。教授は時折笑って冗談を交えながらお店の人と楽しく会話をしていた。昨日から感じていたがインドネシアの人は良く話し、良く笑っているためか自然と親近感がわいてきて人と人との距離感が近いという印象を受けていた。これがインドネシア人の国民性かと思った。ぐるっと病院周囲を歩き、ホテルの裏の入り口へ歩いていると、病院関係者の社宅の入り口が見えた。教授は一番入り口に近い家の写真を撮影しながら、「1995年にこの家にしばらく住んでいたんだよ。ここで様々な経験をしたんだよね。」と笑みを浮かべて時折、懐かしくも感慨深げに私に語っていたのが印象的であった。

 昼前に口唇口蓋裂センターの建物へ向かってドウィさんと再び会った。ドウィさんは昨年、鹿児島大学口腔顎顔面外科に研修に来たインドネシア大学歯学部の先生で、その時以来すっかり友達になっていたので再会は懐かしかった。また、ドウィさんが鹿児島の「桜島」のロゴの入ったポロシャツを来ていたのも嬉しかった。その後入院患者さんのいる病棟へと診察と見学へ向かった。病棟はVIPルームや一般病棟に別れていて、患者さんが病院へ支払う金額に応じて入院病棟のグレードが変わる仕組みとなっており、部屋の広さやきれいさが異なっていた。病棟は日曜日のため人の出入りは少なく静かな時間が流れており、教授がナースステーションへ入ると顔見知りの看護師が集まって笑顔で迎えてくれた。ここでも皆が笑顔で、私はとても明るい雰囲気を感じ取る事ができた。
 翌日、口唇口蓋裂センターの外来の診察室を見学して回ったのだが、ここでも中村教授は熱烈な歓迎を受けていた。「オオー、ナッカムラ?!」と明るく元気な声が部屋に響くとともに、看護士達の熱い抱擁が待っていた。私もインドネシア語で「スラマット パギ(おはようございます)、マツモトです」と自己紹介すると、スタッフが「マツモト?、アジノモト?!」と笑い声が響き渡った。「………。」私が少しキョトンとしていると教授が笑いながら「こっちの人は言葉の響きで遊ぶんだよ。インドネシアでも『味の素』は有名だからね。これからは、マツモト君はアジノモト君だね」と教えてくれた。私は笑顔で笑って賛同することしかできなかったが、親近感を持って私の名前を少しでも覚えてもらったらありがたいと思っていた。


 

 ハラパンキタ病院を訪問して3日目、診療室へ行くと診察の時間には患者さんが廊下に並び、自分の名前が呼ばれるのを待っていた。診察室は大きく3つに別れていて、言語聴覚士の診察室、矯正歯科の診察室、口腔外科と赤ちゃんがミルクを哺乳しやすくするための口腔内の型を採取する診察室とに別れていて、私はその中で矯正歯科の診療室での見学をさせてもらった。部屋にはデンタルチェアーが1台だけあり、そこへ看護士さんから誘導された患者さんが座り先生と笑顔で挨拶を交わした後に診察が始まる。中村教授も交えて診察、現在の治療内容とその状態の確認、今後の方針についてディスカッションを行い、その後は教授がインドネシア語と英語をまじえてわかりやすく患者へ説明し、患者は納得して診察室を後にするという流れであった。治療に対するチームアプローチなど日本の診療システムとほとんど同じであり、この基礎を中村教授がここに在籍している間に確立していた。時間はすでに約18年程も経過したことになるが、そのシステムがきちんと伝わり行われている事は驚きだった。また、患者さんの治療経過がとてもきれいで自然な形態をしている症例がほとんどで、治療の技術の高さにも私は驚いた。しかし、中には日本では現在はあまり見られない口唇周囲の組織量が少ない症例を目にして、医療の質の均一化の大切さを学ばせてもらった。
 昼過ぎまでの診察を終えると、口唇口蓋裂センターのスタッフと手術室、看護士などで昼食会を開いてくれた。ビュッフェスタイルの焼き肉やシャブシャブを楽しむという日本でも馴染みのあるスタイルで、皆、美味しい食事を楽しんでいた。食事の途中では皆さんが、教授と私の席に集まって集合写真を撮ったり、終始明るく楽しいとてもアットホームな雰囲気であった。インドネシアの人の明るさと優しさと皆さんが一生懸命に迎え入れてくれている事にしみじみと私の心に伝わっていた。

 


インドネシアのお姉さんとの再会

 今回のジャカルタ滞在中、スケジュールの合間をぬって中村教授がインドネシア時代にとてもお世話になったリン先生という開業歯科医のクリニックを尋ねることになった。ホテルからタクシーに乗り、日本では東京の銀座のようなきれいな高層オフィスビルなどが建ち並ぶ地域へ到着した。教授に案内されるままに、ビルのエレベーターに乗り込み15階のフロアーにあるデンタルオフィスへ向かうと、お洒落なガラスの扉の歯科診療室が見えてきた。中に入ると、リン先生が首を長くして待っていたようで我々を温かく笑顔で迎えてくれた。さらに、以前ハラパンキタ病院で中村教授が一緒に働いていた矯正歯科医のインゲ先生もいて「オオー、ナッカムラ?!」とエネルギッシュで大きな声が待合室に響きわたり、力強く握手と抱擁をかわしていた。クリニック内はとても広く開放的で明るい雰囲気と清潔感が部屋全体に漂っており、待合室を中心に周囲には診察室とレントゲン室、技工室、それとスタフルームがあった。それぞれの部屋を少し見学させてもらうと、デンタルCT、CADCAMシステムといった最新機器が設置されており、日本なんかよりとてもハイテクで最先端であるため「ほんとにここはインドネシアのジャカルタなのか?」と困惑するほどであった。いつの間にか待合室では、インドネシアのお姉さんと慕うリン先生、インゲ先生と教授が話ししていたが、その言葉を発する女性陣のパワフルさとスピードに私は圧倒された。教授の後ろで静かにちょこんと座り会話を聞いていたのだが、ふと教授の様子を伺うと教授もそのパワフルさに少々圧倒されている様子だった。インゲ先生からは、シンガポールやマレーシアは東南アジアから高度な医療を求める患者を集める医療ビジネスがとても盛んになっている。日本の外務省も今、リン先生のご主人(内科医)などを医療コンサルタントしてインドネシアから患者を集めて、日本で治療をする医療ビジネスにとても積極的である。中村教授には、インドネシアに医療技術の指導に来るのもよいが、高い医療技術をもっているのだから、鹿児島に患者を集めろと云っているようだ。この間、「オオー、ナッカムラ?! チェンジ ユア マインド!!」の台詞を何度聞いただろう……。時代の変化とともにもっとフレキシブルになりなさいとアドバイスしているようだ。また、インゲ先生の息子さんは、オーストラリアの大学で歯学部を卒業し、研修医を終えた後、この春からアメリカの大学病院で勉強をするとのことであった。インゲ先生は「世界のトップをみなきゃダメよ」とも力説していた。教授の後ろで話を聞いていた私は、その言葉がまるで直接初対面の私に言われている感じがして肩身が狭く感じたほどだった。
 私は今回インドネシアを訪れる前は、「インドネシアはアジアの中の1つの国であり、アジアのトップはいつまでも日本だ」という先入観というか固定観念にガチガチに捕われていたのだが、ジャカルタに来て生活しているとその先入観が粉々に破壊される感覚を肌で感じた。エネルギッシュで自分なりの主張をきちんと言葉で表現し、英語を話すことが日常であるこの国と比べてみると、立場が逆転して見えた。もちろん日本の良さも多く感じるのだが、どちらかというと日本が極東の島国で日本こそアジアの中の1つの国であり、劣っている側面もある事に気づかされた。中村教授が、医局の若い先生を海外に連れて行くときに、「東南アジアを嘗めてはいけないよ。世界には色々な国があることを知ったらよいよ」と云っていたが、今回の旅では「チェンジ ユア マインド!」という言葉が私の脳裏に焼き付けられ、私の小さく凝り固まった価値観が、これから大きく軟らかく変化するための起爆剤となる事を実感した旅であった。
 



学会参加

 旅の後半は、インドネシア大学が主催するKPPIKG 2013 (16th Scientific Meeting & Refresh in Dentistry) に中村教授がメインスピーカーとして招待されたため、私も同行することになった。会場はジャカルタの中心部に位置するJakarta Convention Centerで行われるが、この会場となる建物は過去には世界的な国際会議場として使用された歴史ある会場で、この会場と地下通路でつながっているスルタンホテルに教授と私は宿泊することになった。学会当日の朝、インドネシア大学口腔外科のラティフ准教授の迎えで中村教授とオランダの矯正科のアナ マリ教授とともに地下通路を通って会場へと向かった。会場の入り口へ到着するとそこには学会の大きな看板や受付会場が準備されていた。受付に案内されると、中村教授は講演者のため、あっという間に受付が済んだのだが、私一般参加者として列に並ばねばならなかった。教授は先に他の招待者とともに会場の奥へ案内されて行ってしまい、私はまだ列に並んでいた。ようやく順番が来て参加費を払おうとしたが、たまたま現金を持ち合わせていなかったので、クレジットカードをすかさず提示したのだが、これが使用できないと云う。「しまった…。これでは学会に参加出来ない。。。」と困っていると、先日、空港に迎えに来てくれたレジデントのレギ先生が理由を説明してくれて後日支払うという事でpassを発行してもらった。なんとか学会会場へ足を踏み入れることができたが、また学会会場が広く周囲には世界中の歯科関係の会社や業者がそれぞれのブースで展示場を設置しており、日本の大規模なデンタルショーのようであった。インドネシア大学歯学部単独の学会でこれだけのスポンサーや協賛が集まるのかと思うとインドネシア大学のパワーには驚きだった。
 開会式のセレモニー会場へ入ると一番最前列に大きな椅子が並べられ、その1つに中村教授が着席していた。会場は広くてゴージャスな雰囲気をかもし出し、会場の周りにはメディアの記者席までもが用意されていた。「なんだ、これは…、」と思わず唾を飲み込むほどだった。写真を撮影していると、しばらくして、まるでテレビでみるグラミー賞の受賞式のような豪奢なセレモニーがスタートし、様々な先生の祝辞や挨拶の後に、歌や踊りが披露されより一層会場が華やかさを増していった。セレモニーが終わると、知り合いのエアランガ大学ミク先生へ挨拶を行い、一度着替えをするためにホテルへ戻った。

 

 ホテルの部屋は10階でとても眺めの良い、またとても広い部屋でさらに窓からは広大な敷地内にあるプールや芝の広場などが目の前に広がっていた。トイレを使おうとバスルームへ入るとこれまたゴージャスなピカピカ光る大理石で造られていて、私は思わず興奮しいつの間にかデジカメでなぜかバスルームを撮影をしていた。

 

 教授の講演は最終日の朝9:00からであったため、その日の朝は少し早めに起床したが、私は、なぜか前日の朝からどうも体調が悪く自分の体に強い違和感を感じていた。腸内細菌が変化していたためだろうか…または口に合わない何かを食べたのだろうか?色々と推測するも思い当たる事はなかった。この日はだいぶ体調が回復していたため、身支度をした後少し早めに会場へと向かった。学会初日にPCとプロジェクターの接続状態などはあらかじめ確認されていたため、微調整するだけで準備は完了した。教授とともにしばらく会場で待っていると、少しずつ聴衆が集まりはじめ賑わいをみせてきた。時間となり座長であるインドネシア大学口腔外科教授であるベニー教授が中村教授を紹介した後、教授の講演がスタートした。会場はシーンと静まりかえり、皆が真剣な眼差しで口演に耳を傾けているようだ。講演時間は60分だが、その間ほとんど聴衆の話し声は聞こえず講演が終了し、その後の質問においても活発な意見交換が行われた。講演が終わると、熱い賛辞と握手が行われ教授の講演の意義とメッセージが伝わった事を私は聴衆の1人として感じていた。  

 


 講演が終わって、すぐその足で日本に戻ることになった。翌日には日本で学会があって、それに参加しなければならなかったからだ。まだまだ、ジャカルタにいて、そのパワーを感じたかったが、後ろ髪を引かれるようにジャカルタを後にした。今回の旅で自分が感じたのは、インドネシアの歯科の水準の高さと医師達の国際化した物の見方だった。グローバル化の波が経済界では押し寄せていることは新聞紙上でよく耳にするが、歯科を含めた医療の世界もグロール化がどんどん進んでいる事は間違いないと感じた。国境を超えて医者や患者が行き来し、世界の医療水準の差がさらに縮まる日も遠くないだろうと思った。その日のために英語力をつけることはもちろんだが、世界水準でものをみる習慣を身につけ、現在取り組んでいる大学院での研究が、より広い社会に有用なものになるよう頑張って行きたいと思った。

  
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