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 TAFPRS 2010〜台湾のミラクル〜 松永 和秀


1. それは1通のメールから

2010年7月、中村教授に第7回台湾顔面形成外科学会(TAFPRS 2010)のディレクターから、思いがけない1通のメールが届いたのが、「台湾のミラクル」の始まりであった。その内容は、「第7回台湾顔面形成外科学会が、今回インターナショナルシンポジウムを同時開催することとなり、中村教授を海外のゲストスピーカーの1人として迎えたい」という招待状であった。もう少し詳しく言うと、中村教授は口唇・口蓋裂の包括的治療を専門にしており、最近その治療成果の論文が、海外の学会誌に掲載された。その論文が、同学会のディレクターの目に止まり、口唇口蓋裂のセクションで、発表してほしいという依頼のメールであった。僕は、今年の3月まで、近畿大学医学部形成外科に勤務していたこともあり、中村教授から、「形成外科の学会だから、一緒に発表しに行こう」と声をかけてもらったことが、今回の学会参加のきっかけとなった。「せっかく国際学会に行くのだから、お互い2題ずつ演題(ずうずうしい?)を発表しよう。」ということになり、中村教授は口唇口蓋裂の内容を2題、僕は近畿大学の形成外科で経験した顔面骨折の治療成績について2題エントリーした。しかしながら僕自身は、英会話は不慣れなため、ポスター発表も考えたが、近畿大学形成外科の磯貝教授から、「是非、インターナショナルな生の意見を教えてください。」とのコメントを頂いたため、「これは、口演で発表するしかない」と思い、2題とも一般口演(Free paper)でエントリーした(これぞ鹿児島弁でいう‘ぼっけもん’なのでしょう)。その日以来、少しでも英語に慣れるためにと、自動車通勤の約20分間、車内で英会話のCDを聞くのが日課となった。


学会ロゴ

2. ミラクルへの序章

9月中旬になり、学会の最終プログラムがメールで届いた。中村教授のエントリーした2題がなんとCleft lip and Noseのシンポジウムでの発表が決まった。学会のシンポジウムで発表することは、とても名誉なことであり、ましてや国際学会となると、日本人の行っている仕事として評価されるため、責任重大である。従って、2題連続で発表する中村教授は、いつもより増して準備に気合が入っていたように感じられた。
 さて、僕はというと、2題を一般口演(Free paper)でエントリーしたので、Free paperのセクションで、自分の名前を探した。まず、1題を見つけた。で、もう1題は・・・。しかし、名前がない。「きっと1題は、却下されたのだろう」と思い込み、プログラムを閉じようとした瞬間、中村教授が「松永君、君の名前が、シンポジウムにあるじゃない。」と驚きながら教えてくれた。中村教授が、冗談を言っているのかと思い、閉じかけたプログラムを疑いつつ、再び目を向けると、Head Neck Reconstruction シンポジウムのセクションに、僕の名前とエントリーした演題を見つけてしまった。今思うと、これが「台湾のミラクル」の序章であったのかもしれない。


3. 台湾へ

近畿大学で磯貝教授にスライドチェックをしてもらい、そして、当科の医局で発表予行を行い、それから何度もスライドに修正を加え、10月21日福岡経由で、台湾へ出発した。飛行機の待ち時間と飛行機の中では、予想される質問を中村教授が英語で質問し、それを僕が英語で回答するという予行練習をさせてもらった。
台北国際空港に到着し、台北駅から新幹線に乗り、南下すること80分。学会が開催される嘉義(Chiayi)市に到着した。


台湾の新幹線

Chiayi駅にて

タクシーでホテルに着き、それから数時間各自の部屋で、スライドの確認や原稿(もちろん英語で)を読む練習をした後、中村教授が僕の発表原稿について、強調すべきところや文章を区切るところなどをアドバイスしてくださった。夕食は、ホテルのフロントお勧めの夜市に食堂があると聞き、散歩がてらの夕食をとりに行った。夜市は、ネオンで明るく、たくさんのバイク・自転車・歩行者で溢れかえっていた。僕たちは、ホテルフロントお勧めの食堂に入り、点心や餃子をたらふく食べた(それでも二人で650円だったのにはびっくり)。その味はやさしい美味であり、日本の観光客が台湾の食事を好むのが納得できた。


4. 学会初日〜僕は添乗員?〜

学会初日、朝7:50学会のシャトルバスに乗り、学会会場(Chang Gung Memorial Hospital at Chiayi)に向かった。バスは、初日で早朝のせいかバスの中には数名の学会参加者のみが乗車していた。その中、金髪の体の大きい西欧人の2名に目が魅かれた。バスは、約30分後、会場ホールの前で停車した。ホールのエントランスに降り立つと、華やかな学会の垂れ幕が、参加者を歓迎してくれていた。エントランスから、白い長い階段を降りると広い受付ホールがあり、学会発表会場の各ルームの前には、「学会成功祈願」の花が飾られていた。僕たちは、各々の発表するルームを下見に行った。中村教授の発表会場は、500名が入るほどの大会場で、それは、それは、立派な会場であった。初日の演題を聞き、学会の雰囲気もわかってきたところで、今日の学会は15:00で終了した。今夜、海外参加者を交えた食事会が18:00から予定されているが、それまで時間がある。一度、ホテルに帰って発表の準備でもしようということになったが、帰り方がわからない。受付に聞くと、もうシャトルバスはないとのことであった。さてこれからどうしようかと、二人でウロウロしていると、今朝、目を魅かれた2名の西欧人(ノルウェーの口腔外科と矯正科のドクター)も同じくウロウロしていた。中村教授が、英語で話しかけると、僕らと同じ状況であった。宿泊先が一緒であったこともあり、一緒に、タクシーで帰ろうということになったが、タクシー乗り場は遥か向こうの病院の入り口であった。しかも、外は台風の影響で雨。どうしたものかと思ったが、ここは若い僕が走るしかない思い、傘を片手にタクシー乗り場に走り、タクシーを学会会場入り口に誘導した。すると、そのノルウェーのドクターの「ドクター松永は、いい添乗員だ」の一言で、周りに笑いが生じ、それがきっかけで、ノルウェーのドクターと仲良くなった。


学会会場で中村教授

中村教授とノルウェーの先生

夕食会を兼ねたウエルカムパーティー会場へも、ノルウェーのドクターたちと一緒にタクシーで出かけた。会場に着いてしばらくすると、海外の招待講演者のドクターたちもぞくぞくと会場に集まってきた。今回は、アメリカ、イギリス、イタリア、ブラジル、ポルトガル、スペイン、ノルウェー、韓国、そして日本の9か国から形成外科医、口腔外科医、歯科矯正医が招待されていた。また、いつもメールのやり取りをしていた学会事務局の先生方と対面することができた。そして事務局の先生方は、中村教授と僕を心から歓迎してくれた。
 円卓を囲みながら、みんなで食事をしていると、中村教授が、「すごい。いい発想だね。」と言いながら、ノルウェーの先生と笑っている。それは、ノルウェーの先生の箸の使い方がとてもユニークであったからだ。なんとそれは、割り箸の接続部を割らず、割り箸の間に料理を挟み器用に食事をしている光景であった。我々日本人が、想像できないことを何気なく実践しているその姿を見て、「箸といえども、ものの考え方や使い方は何通りもある。それは、臨床や研究でも同じこと。きっと違った文化の発想、時には想像もつかない発想が、医学を発展させているのだ」と思った。


ノルウェーの先生たちと

学会役員の先生たちと

各国の先生たちと

5.  学会2日目〜地獄から天国・それはミラクル〜

学会2日目、今日は、僕の発表の日。朝フリーペーパー(一般演題)、午後からシンポジウムで発表予定である。学会自体は、フレンドリーで温かい雰囲気であったことがせめてもの救いであるが、質疑応答も、もちろん英語。非日常の世界である。アドリブで質問に答えられるほど英語が堪能なわけでも流暢なわけでもない。僕にとって、それこそが一番のストレスになっていた。そのストレスが少しでも軽減できればと、昨夜ウエルカムパーティーから帰り、予想される質問の回答をあらかじめ英語で用意して臨んだ。フリーペーパーのセクションでは、イギリス、アメリカ、スペイン、韓国、台湾、日本の6か国のドクターたちが多数エントリーしていた。朝8:00にセクションがスタートし、トップバッターは僕であった。発表タイトルは、Association between preoperative inferior rectus muscle swelling and outcomes in orbital blowout fracture。発表そのものは、何度も練習していたため時間内に、気持ちを込めて発表できた。


フリーペーパーの発表

フリーペーパーの発表

そして質疑応答と思いきや、座長の先生が、まず5名の発表が終わってから、まとめて質疑応答をする旨を告げたため、内心ほっとして壇上から降りた。するとそこで、小さなアクシデントが発生。3番目の発表予定の先生の到着が遅れるとのことで、急遽、質疑応答の時間になってしまったのだ。そしておもむろに、座長が僕に向かって、質問をしてきた。突然の質問、心の準備もなく、しかも聞き慣れない単語。隣にいてくれた中村教授が「もう一回質問を聞きいてみなさい。」とアドバイスくれ、もう1回質問内容を聞いてみた。しかも僕が焦っているところのライブ映像が、スクリーンにドアップで映し出されているではないか(どこにカメラがあるの?)。どうしても一番重要な単語の意味がわからない。しかも自分で事前に用意していた質問ではないことは確かである(人生そう甘くないということか)。困惑の表情をしていると、横にいてくれた中村教授が、こんな意味の単語ではないかと、アドバイスしてくれるも、咄嗟に言葉が出てこない。結局、苦し紛れの文章にはならない単語を並べただけの回答となってしまい、自分にとって、質疑応答は散々たるものだった。すべての先生の発表が終わり、フリーペーパーのセクションは終了した。結局、質疑応答があったのは、時間の関係上僕だけであった。英語でうまく表現できないもどかしさで、気持ちがどん底に沈んだ状態であった。休憩のとき、中村教授に、回答のコツとポイントを教えてもらったが、英会話は1日にして成らず、すぐに上達するわけでもない。午後のシンポジウムの発表はもっと時間が長く、たくさん質問がくると予想される。それを考えただけでも、もっと気持ちが沈んでくる。それでも、発表時間はやってくる。ひとまず、ありったけ予想される質問に対する回答を準備して、午後のシンポジウムに臨んだ。
 発表前に、幸運にも座長の2人の先生が僕の近くにいた。ここぞとばかり、「自分は英語が上手くないので、ご迷惑おかけします。」と座長の先生方に伝えたところ、座長が「ドクター松永、気にせず発表してください。」と、有り難いコメントをもらい、気持ちが楽になった。発表タイトルは、Long-term result of the bio-absorbable copolymer for the treatment of blowout fracture。発表そのものは、スムーズに終了した。質疑応答については、分かり易い単語で、座長が質問してくれたおかげで、なんとか理解でき、単語の羅列ではあったが、相手に理解してもらえたようであった。もう1名、フロアーから質問があった。中村教授の鶴の一声(フロアーから単語の意味を伝えてくれた)と座長の手助けで、なんとか発表を終えることができた。


シンポジウムの発表

座長の先生方と

夕方18:00から僕たちが宿泊しているホテルで、farewellパーティーが開催され、その雰囲気は格式の高いものであった。司会者の音頭でパーティーがスタート。海外からの参加者の国(イギリス、アメリカ、ブラジル、ポルトガル、スペイン、イタリア、ノルウエー、韓国、日本)の紹介があり、各国の代表者が、壇上で一言挨拶をすることになった。日本は、中村教授に指名があり、流暢な英語で、ジョークも交えて挨拶をされた。
 その後、マジックショーあり、台湾伝統武芸ありの華やかな会となった。


farewell パーティー

学会主催者の挨拶

日本代表で中村教授が挨拶

すると、突然、司会者が、「Dr.Kazuhide Matsunaga. From Japan.」とアナウンスしている。中村教授が、「松永君、なんか壇上に上がれとアナウンスしてるよ。」と教えてくれた。「このごに及んで、英語の苦手な僕に、コメントを言えというのか?」と困り果てながら、嫌々壇上に上がった。すると、学会主催者が、「コングラチュレーション。」と言って、会場からも「ラッキーガイ」とともに拍手が聞こえてくる。何があったのか自分は、全く状況が把握できていない。その時の僕の表情がすべてを物語っている。


なぜ呼ばれたのか解らず

握手されても状況把握できず

結局、しっかり状況を把握しないまま自分の席に戻ってきた。中村教授から、「松永君、何があったの?」と質問された。「おめでとうと言われましたけど、何故かわかりません。」と答えると、中村教授に、再度確認してくるように言われ、もう一度主催者のところに行き、質問した。すると「フリーペーパーのセクションで、あなたが最優秀賞に選ばれました。」と教えてくれた。信じられず、「why? なぜ僕が・・・」と、聞き返した。そして驚きの余り、自分の下唇まで噛んでしまった。席に戻り、中村教授に伝えたところ、「フリーペーパーの発表後、君があれだけ落ち込んだのに、人生とはわからないもんだね。きっと努力の神様が、努力した君にご褒美をあげたんよ。これで、今回の学会紀行のタイトルは、‘地獄から天国へ’に決定だね。」と言いながら喜んで下さった。そんなサプライズがあり、その夜は、なかなか寝付けなかった。


海外の招待講演者(中村教授:左から4番目)

6. 学会最終日

今日は、いよいよ中村教授のCleft Lip and Nose シンポジウムでの発表である。このセクションでは、世界で口唇口蓋裂の治療で成果を挙げている4名の専門医が発表することになっている。1人目は、ノルウエーの口腔外科のドクターが長期治療成績を発表し、2人目はそれに連携するように、同じ施設のノルウエーの矯正科のドクターが長期治療成績を発表した。実に、1例1例を大切にした堅実なデータであったことに、感銘を受けた。3人目は、アメリカの形成外科のドクターが、口唇鼻修正術の成績を発表した。その先生の術式が中村教授に似ていたことに驚きを感じた。最後に中村教授が、Three-dimensional observation of outcomes following secondary correction of the cleft lip nose deformities. と Postoperative nasal forms after presurgical nasoalveolar molding followed by medial-upward advancement of nasolabial components with vestibular expansion for unilateral complete cleft lip and palate.の2題を発表した。手術後の成績を学術的に評価した内容で、世界のドクター達と遜色ない発表であったと素直に感じた。発表後、ノルウエーの2人のドクターから、中村教授は「beautiful results」と賞賛されていた。


中村教授の発表

中村教授の発表を終え、すぐに帰国の準備をし、新幹線で台北へ向かった。台北市内で、慰労会がてら昼食をとり、17:30台北国際空港から福岡行きの便に乗り、帰国の途へついた。


台北で二人きりの慰労昼食会

7. 振り返って

今回、中村教授への1通のメールから、始まった国際学会であった。英語が流暢に話せないにもかかわらず無謀な挑戦(ぼっけもん)であったが、何故か学会賞まで頂いてしまった。それで、今回のサブタイトルを‘台湾のミラクル’とした。きっと、鹿児島のぼっけもんの神様が、「よう挑戦しゃったもんじゃ。ご褒美じゃっど。」と、お土産をくれたのかもしれない。このご褒美を誇りに思い、中村教授が常に口にされる「患者さん1例1例を大切に、臨床に取り組む。そして、患者さんのためになるよう臨床研究を遂行していく」というモットーを忘れず、邁進していくことを心に誓い、筆を置くことにする。


学会賞の認定証

2010年11月 松永和秀


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