トップページ > 海外支援活動 > 2013インドネシア、スンバワ島

 インドネシア、スンバワ島医療活動同行体験  6年 品川 憲穂


 2013年8月、私は口腔顎顔面外科の中村典史教授のインドネシアでの学術活動に同行することになった。今回の中村教授のインドネシア訪問は3つの目的があるということだった。一つ目は2012年に鹿児島大学歯学部と交流提携を結んだ国立エアランガ大学歯学部に鳥居教授、小松澤教授らと訪問し、学術シンポジウムでの講演や今後の共同研究の話し合いを行うこと、二つ目は中村教授が以前2年間働いていたジャカルタ市、ハラパンキタ病院口唇口蓋裂クリニックの訪問すること、三つ目はスンバワ島においてエアランガ大学口腔外科チームとともに行う口唇口蓋裂ボランティア手術に参加することで、そこにかつてから海外活動に興味を持っていた私を同行してくれるということであった。

8月25日朝6時、教授 3名と私を含めた4名は鹿児島中央駅より新幹線で博多駅へ行き、福岡空港をシンガポール経由でインドネシア、スラバヤへ向けて飛び立った。時差によりスラバヤは日本より2時間遅い。飛行時間は約7時間で、スラバヤに到着したのは午後7時すぎであった。スラバヤはジャカルタと同じジャワ島にあるインドネシア第2の都市である。空港ではエアランガ大学の口腔外科の人たちが大勢で迎えてくれ、そのままレストランへ行き、皆でインドネシア料理をごちそうになった。


エアランガ大学の先生はとても気さくで、私もすぐにうちとけることができた。その中に、すでに大学を卒業し、口腔外科の専門医コースで学んでいるというスバン君と私は仲良くなった。スバン君の奥さんは、子供の頃に日本に住んでいたことがあり、スバン君は私を「センパイ(先輩)」と呼んでくれた。私は英語がさほど流暢ではなく、海外へも久しく行ってなかったので最初会話には少し苦労したが、電子辞書を駆使しながら食事と会話を楽しんだ。いずれも美味しいインドネシア料理を食べきれないほどもてなしてもらい、たちまち我々は意気投合した。

翌26日には、早速エアランガ大学と鹿児島大学との学術交流シンポジウムが行われた。両校間の学術提携を祝う記念式典が行われ、そして鹿児島大学の3人の教授陣とエアランガ大学のドクターの講演がなされた。教授の先生方は、ユーモアを交えながら流暢な英語で(インドネシア語も交えて)講演をされた。聴衆にはイスラムの装束をまとった女性たちが数多く見受けられた。エアランガ大学では歯学部の学生の4分の3は女性であるということであった。

翌27日はエアランガ大学歯学部において、3名の先生はそれぞれの専門科に分かれて今後の研究打ち合わせやセミナーに参加され、その間、私はスバン君に案内されて大学病院での学生による臨床実習を見学した。インドネシアの歯学部は5年制だが、卒業後の1年間のインターンシップを経て国家試験に通ると一般歯科医師免許を取得する。そしてさらにその上の専門医コースに進み、口腔外科なら7年、矯正科や小児歯科なら3年の課程を終えると、専門医の資格を得ることができるということだった。

病院では5年生が臨床実習を行っていた。タイル貼りのしきりで区切られた診察スペースには、一人の患者さんに2,3人の学生がついており、まず学生が診察を行って、その後フロア中央にいる教員のもとへ治療方針を報告しに行くという手順で実習が行われていた。教員から許可が出れば、再びチェアーに戻り、学生自らが治療を行って良いということだった。スケーリングを行う学生、義歯作成の咬合床作りをしている学生、そして抜歯を行っている学生が、教員について見学しているのではなく、学生たちが自分の意思で治療を行っており、フロア全体には非常に活気あふれた雰囲気を感じた。機器や器具は確かに日本のものより遅れているものであったが、学生たちがとても自信を持ち誇らしく診療を行っている光景が印象的であった。学生による治療が無料であるということで、患者に十分な承諾が得られているからこそ可能な診療体系であると考えられた。

また、別のフロアでは、専門医コース生による専門の治療もおこなわれていた。学生と専門医コース生とは白衣の色で見分けがつくようになっており、さらに学生はローテートしている診療科のバッチを付け、これも一目でわかるようになっていた。  
 見学を終えたところでスバン君がイスラムのお祈りに行くというので、「私も行きたい」とお願いしてみた。私はイスラム教徒ではないが、イスラム教の礼拝には前々から興味があったのでそう話した。すると、スバン君は笑顔で「オッケー」と言ってくれた。イスラムの祈りは通常はモスクで行うが、学校や病院などにはムショラというお祈り場があり、皆時間になるとここでお祈りを行っていた。スバン君からは、「お祈りの前には必ずまず身体を洗い清めるのだ」と、そのやり方を教えてもらい、手、足、顔、頭、口の中、鼻の穴、耳の中を水で3回ずつ洗って、そしてムショラに入った。スバンの後に続いて、同じ動作でお祈りを終えると、そこにいたみんなが握手をしてくれて嬉しかった。

この日の昼食は、中村教授の発案で、ケンタッキーフライドチキンを素手で食べることになった。イスラム教はブタを食することは禁じられているが、チキンなら問題ないので、街のあちこちにKFCの看板を目にした。インドネシアのチキンは日本のものほど脂肪が多くなく、また白飯とセットで注文するのが特徴的だった。チキンにチリソースをつけて、右手で食べるインドネシア風の食事も初めての経験であった。その語、鳥居教授と小松澤教授はこの日で帰国するということで、お別れとなった。両先生からは、「この後、インドネシアでの活動を頑張れよ」と激励を受けた。

28日、いよいよ中村教授も初めていくという辺境の地ドンプへ、口唇口蓋裂の手術を行うために旅立った。ドンプは、バリ島から、さらに東に進んだヌサトゥンガラ諸島の中のスンバワ島の小さな町だった。メンバーは、エアランガ大学の口腔外科医と麻酔科医に中村教授と私が合流して総勢20余名であった。スラバヤからバリ島のデンパサール空港で乗り継ぎ、スンバワ島ビマ空港に降り立ち、さらに車で1時間走って、ようやくドンプに到着した。ドンプは、はっきりとした理由は分からないが、口唇口蓋裂患者が多い島として有名らしく、その原因は遺伝ではなく環境に問題があるのであろうと云われていることを中村教授から聞いた。エアランガ大学のドクターが話すには、井戸水に含まれる亜鉛が原因ではないか、ということだった。そして、治療を受けられないまま大きくなっている人が何人もいると知った。
 到着後、まず地元政府のレセプションに招待され、昼食を食べた後、病院へと向かった。病院の待合室に行くと、口唇口蓋裂患者やノーマという感染症で顔面の組織が失われた患者が、待合所を埋め尽くすほどに待っていた。患者だけでざっと30人はいただろう。蒸し暑い部屋で中村教授やドクターは術前の診察を行った。そうこうしているうちに、すぐにこれから手術を行うということで手術室へと連れられて行った。慌ただしい展開の中で、流れがつかめないまま、私はとにかく皆に付いていった。

手術着に着替えて、手術室に入ると、手術台が3台並んでいた。しばらくすると、親と離された子どもたちが泣きながらスタッフに抱きかかえられ入ってきた。そして台の上に寝かされると、麻酔科医はマスクで麻酔を開始し、子どもたちはアッという間に眠らされていった。スムースな全身麻酔の手順に驚かされた。3つの手術台で3つの手術が同時進行で行われていった。そのうちの一人を中村教授が受け持ち、持参した手術器具を用いて口蓋裂手術と口唇裂手術を行った。

口唇裂の手術方法は、インドネシアのドクターの様式や手法は日本でみていたものとは随所で異なっていたが、私にはとても巧みにみえた。中村教授が云うには、口唇裂の手術はその形を覚えるところから入るが、何故そうするのか理屈が分かるようになることが外科医にとって重要である。そのためには、健常な解剖を知り、科学的な視野でものをみる必要があるという。そして、中村教授自身が長年培ってきた外科医としての自立の方法を彼らに伝えることが、海外で活動をする目的であるという信念を聞かせてもらった。各手術台で3人の患者の手術が終わると、夜の6時であったが、すぐに次の手術が始まった。我々の滞在期間は3日しかなく、病院には島中から集まった患者がまだまだ数多くいたので、ゆっくり休む暇はなかった。次の手術では、私もDr.ミラの手術の介助についた。Dr. ミラは私にいろいろ教えてくれ、私も必死に自分のできることを探したながら介助をした。
 この日6名の手術が終わると時間は午後11時になっていた。それから皆でローカルなレストランで美味しい海鮮料理を食べ、ホテルで休んだ。

29日、朝早起きをして、8時から手術が開始された。手術台はもう1台増やされ4台になった。泣きながら入室してくる子、暴れて押さえられる子、心を決めたようにおとなしい子、さまざまであった。考えてみれば彼らにとっては運命の日である。昨日までその顔で育ってきたものが、1夜にして別の顔に変わるのである。まして何年も生きてきた子にとっては、その子が疾患のせいでどんな苦しみにあってきたのかは想像もつかないが、とにかく手術の成功、そして、その後のその子等の幸せを願い、我々は必死に手術を行った。


1つの手術が終わると、すぐにまた次の手術が始まるという具合だった。この日は食事も手術室の横で急いで済ませ、それでも皆で和気あいあいと楽しく過ごす食事の時間はとてもうれしかった。また、手術中もリラックスしたムードが流れていた。皆が疲れてくると、誰かが歌いだして場を和ませ、中村教授も昔覚えたらしいインドネシアの歌を披露し、喝采を浴びていた。日本でのピリピリした手術室の雰囲気しか知らなかった私にとっては、いい意味で概念が変わった。この日最後のオペを中村教授が終えた時、時計は夜中の午前2時半を回っていた。手術室の床には寝転がって眠ってしまっている者もいたが、全員で最後のオペの終了まで立ち合いこの日を終えた。

私は今回インドネシアを訪れる前は、「インドネシアはアジアの中の1つの国であり、アジアのトップはいつまでも日本だ」という先入観というか固定観念にガチガチに捕われていたのだが、ジャカルタに来て生活しているとその先入観が粉々に破壊される感覚を肌で感じた。エネルギッシュで自分なりの主張をきちんと言葉で表現し、英語を話すことが日常であるこの国と比べてみると、立場が逆転して見えた。もちろん日本の良さも多く感じるのだが、どちらかというと日本が極東の島国で日本こそアジアの中の1つの国であり、劣っている側面もある事に気づかされた。中村教授が、医局の若い先生を海外に連れて行くときに、「東南アジアを嘗めてはいけないよ。世界には色々な国があることを知ったらよいよ」と云っていたが、今回の旅では「チェンジ ユア マインド!」という言葉が私の脳裏に焼き付けられ、私の小さく凝り固まった価値観が、これから大きく軟らかく変化するための起爆剤となる事を実感した旅であった。

30日は金曜日で、15歳の少年、20歳の青年、そして50歳過ぎの男性の口唇裂の手術が行われた。驚いたことに、これを局所麻酔下で行うということだった。3人の男性が、並んだ3台の手術台に横になった。15歳の少年は体がブルブルと震え、そして抗菌薬を注射で静注されているとき、彼は嘔吐してしまった。しかしシーツを換えてすぐに続行するという。私は彼の背中をさすって、彼を励ました。
 局所麻酔が注射されたが、少年は終始「痛い、痛い」とインドネシア語で言っていた。なぜ全身麻酔下で行われないのか、私にはその理由が理解できなかったが、とにかく手術は無事に終わった。不思議なことだが、私は外科手術の原点をみたような気がした。これでドンプにおけるすべての手術を終え、結局、手術を受けた患者の数は全部で30例余であった。この日は夕方から皆でビーチに行き、その近くの旧日本軍の防衛壕にも連れて行ってもらって、ドンプでの最後の楽しい夜を過ごした。

翌31日、一行はドンプを後にした。途中の経由空港バリ島デンパサールで、6時間ほど待たされ、せっかく朝早く出発したのに、スラバヤに戻ってきたときは夜の7時を過ぎていた。ここでエアランガ大学口腔外科のみんなとさよならとなった。この4日間で本当に気心が知れ、友達になったので、とても切なかった。みんな私のことを「ノリ、ノリ」と慕って親切にしてくれた。本当に素晴らしい外科チームだと思った。


9月1日、中村教授と私は、教授の思い出の地、ジャカルタハラパン・キタ小児女性病院へと向かった。昔の友人たちと会えるとあって、教授の表情も嬉しそうであった。スラバヤがインドネシア第2の都市と言っていたが、ジャカルタは桁が違って大都会だった。芸術的な設計の高層ビルがいくつも建っていた。しかし人々はやはり気さくで親切であった。   
 約20年前中村教授はこの病院の口唇口蓋裂クリニックの創始期に参加されたということである。そして、かつて共に仕事した仲間は戦友のようなものだと表現されていた。中村教授は赴任当時の病院内やジャカルタでの出来事を本にまとめて、今回、これを昔の戦友に届けに来たそうである。中村教授を迎えた昔のメンバーは、本の写真を見ながら、昔のことを懐かしんで、大層盛り上がった。昔の仲間の先生はハラパン・キタ小児女性病院をすでに退職したり、離れたりして、それぞれの道を進んでおられるとのことだった。中村教授は、皆と楽しい再会を果たし、私も昼食を一緒しながら、先生の素晴らしい半生の1ページをのぞかせて頂いた。

今回のインドネシア訪問に帯同して、私はエキサイティングで奇跡的な経験をたくさんさせてもらった。私が寄稿文を書くにあたり、誤解を招くような部分もあったかもしれない。しかし、とにかく中村先生はインドネシアの口腔外科のレベルを上げ、ご自分が今まで培った経験と知識により、1人でも多くの患者が幸せになるようにとの一心で取り組んでおられるように私は心から感じた。
 この旅に私を連れて行っていただいたことに対して、言葉で感謝の意を表現し尽くすことはできない。私も先生から学んだことをしっかりと胸に残し、これから歯科医として生涯を医療に捧げることによって、恩返しをしていきたい。

   
ページトップへ戻る
Copyright (C)Department of Oral and Maxillofacial Surgery, Kagoshima University Graduate School of Medical and Dental Sciences All Rights Reserved.