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  インドネシアのBelitung島における口唇口蓋裂医療活動 

 - 海外の医療、文化に触れて感じたこと - 中囿 賢太(なかぞの けんた)


ごあいさつ

こんにちは。鹿児島大学医歯学総合研究科の口腔顎顔面外科学の大学院3年生の中囿賢太です。この度、2019年12月11日から12月17日にかけてインドネシア大学主催の口唇口蓋裂のチャリティーミッションに参加いたしました。
口腔顎顔面外科では中村典史教授を始め、臨床、研究ともに活発に国際交流が行われています。中村教授がインドネシア、ジャカルタのハラパンキタ小児産科病院で働いていた縁もあり、インドネシアからは頻繁に留学生が当科を訪れます。我々医局員も良い刺激を受け、日々交流を深めています。全く英語ができなかった私も、片言の英語を振り回しながらどうにかコミュニケーションをとっている次第です。今回、医局員の中でも特に海外留学生と活発に交流をしている渕上貴央先生にお話をいただき参加に至りました。

写真を見ていただければわかるように、私の顔はかなり東南アジア寄りです。
「お前の顔インドネシア人みたいだなwww」と医局員はもちろん、インドネシアの留学生からも言われることが多くあります。この見た目のおかげなのか、インドネシアの先生方は私に頻繁に話しかけ、フレンドリーに接して下さいます。初めて「この顔で生まれてよかった」と感じました。
そんな縁もあって、プライベートでもインドネシア人の先生方と接する機会は多く、仲良くなった先生方との再会を楽しみに日本を発ちました。帰省ではありません。
私は海外経験自体少なく、海外の医療現場を目の当たりにするのは初めての体験でした。その感動を少しでもお伝えできればと思い、筆をとっております。拙い文章ではございますが、最後までご覧いただければ幸いです。

12月11日 ジャカルタへ


約8時間のフライトを経てインドネシアのスカルノハッタ国際空港に到着しました。私の最初の感想が
「あ、暑い、、、」
日本は12月なのでダウンジャケットやヒートテックを着用していましたが、インドネシアは常夏の国で30℃を平気で超えてきます。太め男子の私はたまらず半袖に。
無事入国を終え、空港を一歩出ると、Yudi先生とYayan先生がレジデントの先生と一緒に私を出迎えてくれました。2人とも当科に短期留学された先生で、彼らは自分たちのことを「薩摩スチューデント」と呼んで、我々との再会を喜んでくれました。

この後渕上先生と合流し、ショッピングモールで食事とインドネシア大学口腔顎顔面外科学分野のBenny教授のご自宅へ宿泊させていただきました。スカルノハッタ国際空港からジャカルタまで高速道路を使って移動した時、驚いたのはその交通量でした。日本では滅多にお目にかかれない交通量で、全く進まないのを良いことに売り子が高速道路によじ登り、食べ物を売っていました。最終的に路肩を通り、パトカーを煽りながらジャカルタに到着しました。私は助手席には存在しないブレーキを踏みしめながらショッピングモールに到着しました。

ショッピングモールではBenny教授夫妻を始め、オーストリアのスポーワン教授夫妻、今回のチャリティーミッションに参加するインドネシア大学の先生方と一緒に食事を取りました。そして鹿児島で仲良くなったインドネシアの先生方が私と渕上先生に会いにきてくれました。久々にお会いしましたが、全く距離を感じない楽しい時間となりました。
時間が遅くなっても文句ひとつ言わずドライバーをしてくれるレジデントの先生や、私たちを自宅に出迎えてくれたBenny教授を見て、「この人たちの爪の垢を煎じて飲みたい、お土産に持って帰りたい」と私は思いました。一緒にいた渕上先生も同じことを考えていたようで「彼らには爪の垢なんてない」と二人で話をしたのが印象に残っています。

12月12日 Belitung島へ

  

Benny教授のご自宅で朝食をとり、飛行機でBelitung島へ向かいました。Benny教授のご自宅があるジャカルタは東京や大阪に行ったときのような「都会」という印象を受けましたが、Belitung島は鹿児島の田舎に近い風景でした。
Belitung島はインドネシア西部にある島で、スマトラ島とカリマンタン島の間のカリマタ海峡に位置しています。今回はMarsidi Judono Hospitalで口唇口蓋裂の手術を行いました。20名程の患者さんをスポーワン教授を中心に術前の回診が行われました。

日本では、口唇形成術が生後3ヶ月ごろ、口蓋形成術が1歳6ヶ月ごろに行われるなど、ほとんどのケースで適齢期の手術が行われています。しかしMarsidi Judono Hospitalに集められた患者さんたちは適齢期に手術を受けることができず、裂を残したまま成長しているケースがほとんどでした。そのため通法通りの術式から工夫しないといけないところも多く、各担当医たちはスポーワン教授にしきりに意見を仰いでいました。

回診後はホテルにチェックインして夕食をとりました。
インドネシアの料理の辛いものは本当に辛かったです。私はYudi先生と同様に、鹿児島で親交を深めたFarid先生の近くで食事をしていました。辛いものが苦手なFarid先生が渋い顔をしていたので、こう提案しました。

「Let’s have spicy KANPAI !」
私の発言にいち早く反応したYudi先生を含め、3人で延々辛いものを食べ続けました。私の味覚がインドネシアに順応しはじめて、ちょうど日本に帰ってくるころに腹痛に苦しみはじめました。恐るべしインドネシア料理。
インドネシアといえばドリアンが非常に有名です。食べる気満々、意気揚々と口に運んだ私でしたが、甘さを打ち消すほどの臭いに完敗しました。なんとか飲み込んだものの、二口目には至りませんでした。次回はリベンジしたいところです。


12月13日 手術日

午前7時、4台の手術台が準備され手術開始となりました。麻酔科医の都合で、2日にかけて手術を行う予定が、当日で終わらせなければならなくなりました。3時間で終了するケースもあれば、6時間、7時間と時間を要するケースもあり、ハードな1日を覚悟しました。しかし手術は非常に明るくいい雰囲気で進みました。当然手術中は真剣な表情を見せます。術中のディスカッションも活発で、少しでも疑問に思うところがあれば相談しながら手術を進めていきます。ですが、私が見学していると気さくに話しかけてくれたり、時々どこから笑いが起こったりしていました。

手術が始まってしばらくしてからEky先生が登場しました。私が出会った中で最もユニークな先生です。好きな日本食は“とんかつ”だそうです(イスラム教で豚肉はタブーのはず、、、でも彼は大阪育ち)。彼は手術室でONE OK ROCKという日本人のロックバンドの曲をかけ、手術室をアゲアゲにしてしまいました。また、Eky先生は日常会話レベルの日本語はマスターしているので、私たちの会話が滞る際には通訳もしてくれて、非常に頼もしい存在となっていました。

渕上先生は特に難しいケースを担当され、若い先生の指導医という形で手術に入られました。私もアシストとしてオペに入り、高難度の症例を目の当たりにしました。
私は日本での口唇口蓋裂の手術に入ることは多くありましたが、術者の経験はありませんでした。渕上先生には「お前も術者として入ることがあるかもしれない」と言われていたのでかなり緊張して手術に臨みました。3件目の手術の前にNinung先生に声をかけていただきました。彼女は私の入局以前に鹿児島に訪れており、日本に非常に親しみを持っていただいている様子でした。私が口蓋形成術の術式を復習していると、「インドネシアの食べ物は口に合うか?」「鹿児島弁を教えて!」などと私の緊張をほぐしていただきました。術中も話しやすい雰囲気で進行し、疑問に思うところをどんどん質問できました。指示を受けながらではありますが、術者としての経験もさせて頂きました。貴重な体験をさせて頂き感謝しかありませんでした。拙い英語で感謝の意を伝え、Ninung先生は笑顔で返してくれました。

当日午前7時から始まったミッションは平気で日付を跨ぎ、最後の手術が終了したのが午前3時でした。ヘトヘトのはずなのに、「なんでお前らそんなに元気なんだ!」と言いたくなるくらい最後まで皆さん明るさを見せて帰路につきました。
レジデントの先生方は朝から晩までずっと下働きをして、疲弊はピークに達しているのも関わらず、私たちに「大丈夫か?疲れてないか?」と声をかけてくださりました。何を食べたらこの人間性ができあがるのでしょうか。spicy food恐るべし。


12月14日?12月15日 観光

前述したように、2日間の手術予定を1日で終わらせてしまったため、2日間の観光をさせていただくことになりました。
観光に出る前にまずはMarsidi Judono Hospitalにて術後の経過観察を行いました。一通り見て回りましたが、術後の経過は良好なようで安心しました。私が手術に入った患者さんたちも特に大きな問題は見られませんでした。最後に患者さんたちに別れを告げて、私たちはMarsidi Judono Hospitalを後にしました。

車の中で爆睡していると(レジデントの先生方、ほんとにすみません)Pantai Tanjung Tinggiというビーチにつきました。白い砂浜に大岩が転がっており、自然の力を見せつけられました。高いところが苦手な私もつい登ってしまいたくなるような男心をくすぐられる観光地でした。そのまま近くのレストランで食事をとりました。「蟹=高級食材」という庶民脳の私は蟹ばかり食べていました。実際は1匹600円程度というのを後で知り驚きました。

日付が変わって次の日も観光となりました。
実はこのBelitung島はインドネシアで大ヒットした小説、映画の舞台で、実際に撮影があったところや、作者のアンドレア・ヒラタ先生の博物館の見学をしました。


12月16日?12月17日 帰国

12月16日にはBelitung島を離れ、ジャカルタに戻りました。ショッピングモールの中で食事をしたり、車で移動している中、いろんな話をしたりとすることは大きく変わりませんでしたが、ジャカルタに帰ってきた時には別れが近づいているのを感じました。最後までずっと一緒にいたYudi先生、運転を始め諸々の準備をしてくださったレジデントの先生たちの優しさがいまだに印象に残っています。何人かの先生が、別れ際に「ACOMS(アジア口腔顎顔面外科学会)で会おうぜ!」と言ってくれました。まだ研究が始まったばかりで英語もままならない私ですが、彼らに再会することを目標に頑張ってみるのもいいかな、と思わされました。

1週間海外で過ごす。海外経験の浅い私にとって不安が大きい面もありましたが、周りの人に恵まれ、手技知識共に勉強させて頂き、何より楽しい日々となりました。最後に今回インドネシアに快く送り出してくれた中村教授、お誘いいただいた渕上先生、インドネシア大学のBenny教授をはじめとするスタッフの先生方に心より感謝申し上げます。

Terima Kasih



  
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