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 チャイナ・アローン  松永 和秀


1.‘ぼっけもん’の血が騒いで・・・。

2012年4月に突然、海外からメールが届いた。「6月9、10日に中国・徐州で開催されるXuzhou 2012 International Forum on Modern Medicineに招待しますので、あなたの最新の臨床研究トピックを講演してもらえませんか?」という内容のものであった。とても光栄な依頼なので、英会話はあまり得意ではないが、参加してみたいという冒険的気持ちが勝り、中村典史教授に相談したところ、「招待講演だったら、いい経験になると思うから行っておいで」と、参加を後押してくれたので、参加する意向を学会事務局にメールで伝えた。とはいうものの今まで海外の学会には、中村教授がいつも一緒で、質疑応答の時でもアドバイスをもらっていたせいか心強かったのだが、今回は、本当の意味での独り国際学会。何があっても自分で対処しなければならないし、独りで海外の学者とコミュニケーションをとらなければならない状況となる。しかも、鹿児島市の旅行会社に聞くと、徐州というところは、あまり日本人旅行者が行かないので、詳しい情報がないとのこと。益々もって不安もあったが、反面「行ったら、どなんことがあるのかな?」という薩摩隼人の‘ぼっけもん’の血が騒いだのも事実であった。4月末に学会事務局から、私の写真付きのプロフィール(生まれ、学歴、職歴、受賞歴など)と講演内容の抄録を英語で送ってほしいとメールが届いた。講演内容は、中村教授と相談し、昨年2011年度に日本口腔外科学会で優秀口演賞を頂いた「片側性唇裂初回手術後の口唇過伸長を克服するための取り組みについて」を講演することにした。人生初の学会用英語プロフィールを作成し、抄録と一緒に送った。そして6月8日、前日のロングオペと当直明けのクタクタの体であったが、なぜか気持ちはワクワク元気であった。医局の若手の先生から、「無事、帰還して下さい」と笑顔(笑顔の裏には、面白い珍道中を期待する意味が・・・。)で激励され、鹿児島を出発した。


中国の旅客機

2.まだ見ぬ徐州への旅・・・。

まず、鹿児島から新幹線で福岡に移動し、福岡から上海に飛行機で移動した。そして、上海から国内線で徐州まで移動する予定であるが、上海には、浦東空港と虹橋空港があり、着いた空港は浦東空港で、徐州行きの飛行機は虹橋空港からのフライトとなっていた。浦東空港を出て、虹橋空港へ1時間20分かけてリムジンバスで移動した。虹橋空港に着いたが、その日の徐州行きの便は無いため、今日は、虹橋空港近辺のホテルに宿泊することとなった。迷いながらも予約したホテルを見つけ、無事チェックイン(時差は日本の1時間遅れ)することができた。
 一夜を過し、翌朝(6月9日)8時30分の飛行機に乗ること1時間、初めての徐州に到着した。到着ロビーに出ると「Well come, Dr. Kazuhide Matsunaga」のカードを持った学会主催スタッフの方が、迎えに来てくれていた。そこから黄河沿いを車で移動すること1時間、やっと徐州の中心街に着いたのだった。近いようで長い旅路であった。  


徐州の中心街

ホテルに到着すると、学会スタッフが、参加章と学会プログラムを用意してくれていた。プログラムを見ると、今回の招待講演者は、アメリカ、アイスランド、イタリア、スペイン、サウジアラビア、インド、パキスタン、バングラディシュから来ており、専門は病理学、生化学、整形外科など、多種多様に富んでいた。日本人そして、口腔外科分野は、私一人だけであった。昼から、学会主催者の計らいで、現地スタッフが招待講演者を徐州の名所に案内してくれた。


徐州博物館

燕子楼

3.奥様は魔女、いやっ、教授だった。

6月10日学会フォーラム当日。このフォーラムは、世界の研究者や医師らが、徐州人民病院の医師らに、先端のトピックをプレゼンし、討論する形式となっていた。午前中は、徐州第3人民病院に出向き、そこの病院の専科に合った招待講演者が、発表することになっていて、私の講演は口腔外科がある徐州第1人民病院で午後に予定されていた。徐州第3人民病院に到着し、フォーラム会場に入ると、部屋の中央に招待講演者のテーブル席が用意され、そのテーブルの周囲には、すでに徐州人民病院のドクターが座っていた。  


徐州第3人民病院

フォーラム会場

午前の部は基礎および病理学を中心としたプログラムとなっていた。私は、臨床医なので、基礎系の知識はそれほど詳しくはないが、興味深く発表を聞かせてもらうことができた。発表の途中、突然停電。電気の復旧まで約15分の中断のアクシデントもあったが、徐州市民病院のドクターからも活発な質問がなされ、今後アメリカと共同研究を行っていく話も挙がっていたようであった。 今回、アメリカ、アイスランド、そしてインドの教授たちは、夫婦で中国に来ていた。そう言えば、中村教授も海外の招待講演には、奥さんと一緒に行くことも多い。夫婦で共に海外を訪れ、その時間を共有できる、そんな夫婦はとても素敵に感じられ、僕も将来そう成れたらいいなあと内心思ってしまった。そこで、とんだ勘違いをしてしまったことが、今回の一番の珍道中であった。アメリカから来ていた教授夫妻がいた。教授と思しき男性は背が高く、堂々としており、バスの中でも他国の教授陣と話をしている。その男性の奥さんは比較的小柄であったが、時々、教授陣の会話に加わり、楽しそうに話をしている。「積極的な元気のある教授の奥さんだなあ」と感心していた。私は、今回、日本から飾り物のお土産を持参していた。ちょうど教授の奥さん方の数だけあったので、そのお土産を渡そうと決め、朝食会場で、まず、アメリカから来ていた例の教授の小柄な奥さんに「日本から持ってきたお土産です。どうぞ。」と渡した。フォーラムのトップバッターは、そのアメリカの教授からであった。司会者から名前を呼ばれ、発表者席に行ったのは、背の高い男性の方ではなく、なんと僕が教授の奥さんと思い込んでいた小柄な女性の方であった。「わーっ。この女性の人が教授だったのかー。」と、とんだ勘違いで呆気にとられてしまった。


講演風景

午前部の終了写真

4. 偉大な教授の風格と立ち振る舞いの後で・・・。

昼食を挟み、私たちは徐州第1人民病院へ移動した。その病院には、口腔科があり、数名のドクターが勤務していることがわかった。私の講演はこの病院で予定されていた。


徐州第1人民病院

口腔科

まず、トップバッターは、アイスランドの病理学教授からの講演であった。そこで、小さなアクシデントが発生。突然、アイスランドの教授のスライドの背景が黄色に変わってしまった。「これは、きっとパソコンの接触不良だな。主催者が直してくれたらいいのに・・・。」と思っていると、そのアイスランドの教授は、表情一つ変えず、「おやっ。背景が黄色になったぞ。これもまた、中国仕立ての計らいかな?」と涼しげに言いながら、最後まで発表を終えてしまったのだ。私は、この人の立ち振る舞いに、偉大な教授(グレイト・プロフェッサー)の匂いを感じ取ることができた 。


偉大な教授の風格

そんなグレイト・プロフェッサーの後、私の講演の順番となった。司会者から、「Dr.Matsunaga, from Japan」と紹介があった。英語に自身のない私は、準備していた原稿を片手に「Upward advancement of the nasolabial component prevents postoperative overextension of the lip following primary unilateral cleft lip repair」を流暢にはほど遠い咬み咬みの英語で発表を行った。


原稿片手に英語発表

発表の後、とてもきれいな手術と発表だったとお褒めの言葉を頂いたことがせめてもの救いだった。また、徐州第4人民病院の口腔科の先生が、「鹿児島大学に口唇口蓋裂の手術を是非、見学に行かせてください」との依頼も舞い込んだ。「私は、Chair personではないので、私の一存では決めることはできません。一度、日本に帰り、中村教授にその旨を伝え、お返事させてください。」と伝えた  


記念写真

5. 偉大な人との出会いを求めて・・・

チャイナ・アローンも、なんとかなるもので、全日程を終え、来た道を復路し、6月12日、無事日本に戻ってくることができた。 『世界は広い。自分の知らない偉大な人は、この世界にたくさんいる。そんな偉大な人との出会いを求めて、また、国際学会に参加したい』と心から思った一人旅であった。


インドの教授とその奥さんと

世界の上空、世界は広い

チャイナ・アローンも、なんとかなるもので、全日程を終え、来た道を復路し、6月12日、無事日本に戻ってくることができた。 『世界は広い。自分の知らない偉大な人は、この世界にたくさんいる。そんな偉大な人との出会いを求めて、また、国際学会に参加したい』と心から思った一人旅であった。


ゲストスピーカーの認定書
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